家屋倒壊率と震度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:28 UTC 版)
1923年関東地震、1948年福井地震、1952年十勝沖地震では、墓石の転倒と木造建築の被害率を検討した結果、これら3つの地震は平均的に見れば同一震度で木造建物はかなり近い全壊率を生じたことが判明している。さらに、家屋全壊率と死者数との関係は、1891年濃尾地震と1948年福井地震では大きく変わっておらず、少なくとも濃尾地震から福井地震に至る同一震度における家屋の全壊率は大きくは変わっていないとする研究がある。 1894年庄内地震の被害住宅の復興家屋構造の指針として、1914年に震災予防調査会が「木造耐震家屋構造要領」を出したが適用範囲は6大都市に限られていた。さらに第二次世界大戦の激化に伴い1943年から1947年までこの規定の適用は中止された。事実上1950年に制定された建築基準法施行令まで、ほとんどの木造家屋は耐震構造規定の洗礼を受けていないと考えられている。その後耐震基準は1981年に見直され、震度7(激震)が始めて適用された1995年兵庫県南部地震当時では木造家屋の耐震性が1948年福井地震当時とは異なっており、福井地震における家屋倒壊率30 %以上の領域は兵庫県南部地震における家屋倒壊率10 %以上の領域に相当するとの見積もりがある。福井地震の家屋被害の範囲は兵庫県南部地震より遥かに広いものであったが、強震動を評価すると両地震共計測震度7に相当すると推定される領域は限定的なものとなる。 また、2011年東北地方太平洋沖地震では、計測震度7を観測した栗原市築館は加速度2700 galと、兵庫県南部地震の葺合観測点の802 galより大きいものであったにもかかわらず、周辺の住宅全壊率は築館は0 %であったのに対し、兵庫県南部地震の葺合は35 %と高かった。これは東北地方太平洋沖地震では加速度が高かったのは周期0.5秒未満の短周期成分であったのに対し、兵庫県南部地震では家屋に被害をもたらしやすい周期1 - 2秒の加速度応答スペクトルが東北地方太平洋沖地震を約4倍も上回っていた為であると解釈されている。
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