宮脇 センム

芸名 | 宮脇 センム |
芸名フリガナ | みやわき せんむ |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1957/7/1 |
星座 | かに座 |
干支 | 酉年 |
URL | https://kaiyodo.co.jp/ |
プロフィール | 1957年7月1日生まれ。愛称は「センム」。模型や玩具などをこよなく愛し、毎年二回、世界最大の造形の祭典『ワンダーフェスティバル』を主催(実行委員長)。集めたプラスチックモデルは4万点を超える世界有数のコレクターであり、海洋堂創設者宮脇修の実子。役職を超えた海洋堂という組織を体現する存在。1964年、父 宮脇修が模型店として創業スタートした海洋堂の経営に幼少のころから参加。 80年代以降は磨き上げられたその“模型審美眼”で、造形作家を束ね、小売り業種からメーカーへ転身した海洋堂の立ち上げと牽引に従事する。 発表したアニメや特撮ヒーローのキャラクターをはじめ、現世生物や恐竜等の絶滅生物における精巧な造形力で、国内外から高い評価を受ける。日本ガレージキットシーンの誕生と発展における最重要人物の一人。2000年頃には日本の動物コレクション(チョコエッグ)など社会現象にまでなった食玩ブームを生みだしたことでフィギュアという言葉を一般層にまで広げた。以降も著名なアーティストや国内外の有名ミュージアムや大型展示イベントとのコラボレーションを展開、マニアにとどまらない一般層の支持も集め、様々なジャンルでヒットフィギュアを発明し続けている。著書に『造形集団 海洋堂の発想』(光文社)、『「好きなこと」だけで生きぬく力』(WAVE出版)がある。 |
代表作品1年 | 2002 |
代表作品1 | 著書『造形集団 海洋堂の発想』 |
代表作品2年 | 2012 |
代表作品2 | 著書『「好きなこと」だけで生き抜く力~自分基準の仕事で世界一になれ』 |
職種 | 文化人 |
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その他の出身のタレント | ZUMA Everybody ネオバランス 宮脇センム アケガラス プリズンクイズチャンネル |
宮脇修一
宮脇 修一(みやわき しゅういち、1957年〈昭和32年〉7月1日[1] - )は日本の原型師・実業家・タレント・株式会社海洋堂顧問・元専務取締役・元代表取締役社長。株式会社海洋堂高知代表取締役社長。ワンダーフェスティバル実行委員長。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授。愛称は「センム」。大阪府出身。父親は海洋堂の創設者・宮脇修(みやわきおさむ)。
経歴
1957年(昭和32年)、大阪府に生まれる。父の宮脇修は、修一が小学校に入学するのを機に1964年(昭和39年)、大阪府守口市に模型店「海洋堂」を開業した[2]。このため修一はプラモデルと造形に親しみ、小学生から店の手伝いを始め、中学には店長となった[3]。
中学卒業後、正式に海洋堂に入社。開業当初は敷地面積1坪半という小さな模型屋だったが、父および父の下に集まった原型師らと共に事業を拡大させ、帆船模型ブームや戦車模型ブーム、ガレージキットブーム、フルタ製菓のチョコエッグブーム(食玩ブーム)などを引き起こし、海洋堂を世界的な模型メーカーへと押し上げた。
1985年(昭和60年)、海洋堂の株式会社改組に伴い専務取締役に就任。この頃から「センム」の愛称で呼ばれる。
2005年(平成17年)、海洋堂社長に就任(ただし愛称はセンム)。
2020年(令和2年)、MSD企業投資株式会社との資本業務提携に伴い再び専務となる[3]。後に顧問に就任。
毎年2回、ガレージキットの祭典「ワンダーフェスティバル」を主催。大阪芸術大学キャラクター造形学科でフィギュア造形の教鞭をとる[4]。また「宮脇センム」の芸名で吉本興業に所属している[1]。
テレビ出演
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 オタクを超えた精巧さ!大英博物館も認める技術集団(2012年9月27日、テレビ東京)[5]
書籍
著書
- 『造形集団 海洋堂の発想』(2002年9月20日、光文社)ISBN 978-4334031602
- 『「好きなこと」だけで生きぬく力 自分基準の仕事で世界一になれ』(2012年1月20日、WAVE出版)ISBN 978-4872905410
監修
- 『昭和の未来科学模型 ロボット編』(著者:小野和弘 黄金模型店、監修:宮脇修一)(2008年8月3日、黄金模型店)ISBN 9784990429409
脚注
外部リンク
- 宮脇修一センム(南国堂) (@sennmusann) - X(旧Twitter)
- 宮脇センムのページへのリンク