宮脇修一とは? わかりやすく解説

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宮脇修一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 03:21 UTC 版)

宮脇 修一(みやわき しゅういち、1957年〈昭和32年〉7月1日[1] - )は日本原型師実業家タレント株式会社海洋堂顧問・元専務取締役・元代表取締役社長。株式会社海洋堂高知代表取締役社長。ワンダーフェスティバル実行委員長。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授。愛称は「センム」。大阪府出身。父親は海洋堂の創設者・宮脇修(みやわきおさむ)。

経歴

1957年(昭和32年)、大阪府に生まれる。父の宮脇修は、修一が小学校に入学するのを機に1964年(昭和39年)、大阪府守口市に模型店「海洋堂」を開業した[2]。このため修一はプラモデルと造形に親しみ、小学生から店の手伝いを始め、中学には店長となった[3]

中学卒業後、正式に海洋堂に入社。開業当初は敷地面積1坪半という小さな模型屋だったが、父および父の下に集まった原型師らと共に事業を拡大させ、帆船模型ブームや戦車模型ブーム、ガレージキットブーム、フルタ製菓チョコエッグブーム(食玩ブーム)などを引き起こし、海洋堂を世界的な模型メーカーへと押し上げた。

1985年(昭和60年)、海洋堂の株式会社改組に伴い専務取締役に就任。この頃から「センム」の愛称で呼ばれる。

2005年(平成17年)、海洋堂社長に就任(ただし愛称はセンム)。

2020年(令和2年)、MSD企業投資株式会社との資本業務提携に伴い再び専務となる[3]。後に顧問に就任。

毎年2回、ガレージキットの祭典「ワンダーフェスティバル」を主催。大阪芸術大学キャラクター造形学科でフィギュア造形の教鞭をとる[4]。また「宮脇センム」の芸名で吉本興業に所属している[1]

テレビ出演

書籍

著書

監修

  • 『昭和の未来科学模型 ロボット編』(著者:小野和弘 黄金模型店、監修:宮脇修一)(2008年8月3日、黄金模型店)ISBN 9784990429409

脚注

  1. ^ a b タレント詳細”. 株式会社吉本興業. 株式会社吉本興業. 2023年5月19日閲覧。
  2. ^ 館長室”. 株式会社奇想天外. 海洋堂シマントミュージアムビレッジ. 2023年5月19日閲覧。
  3. ^ a b ぼくらの履歴書”. en転職. 株式会社エン・ジャパン (2021年9月29日). 2023年5月19日閲覧。
  4. ^ 教員ピックアップ”. 大阪芸術大学. 大阪芸術大学キャラクター造形学科. 2023年5月19日閲覧。
  5. ^ オタクを超えた精巧さ!大英博物館も認める技術集団 - テレビ東京 2012年9月27日

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