定性的研究と定量的研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 16:19 UTC 版)
「定性的研究」の記事における「定性的研究と定量的研究」の解説
定性的研究は、定量的研究と比べて科学的でない、と評される場合がある。比較的よく見られる定性的研究への批判には以下のようなものがある。 古典や理論などを解釈し続けるばかりで実用性、応用性、実証性に欠ける。 研究対象となる異文化などに研究者自ら参加してしまうため、客観性があるかどうかが疑わしい(参与観察など)。 研究者自身の経験を題材にしており客観性があるかどうかが疑わしい(アクション・リサーチなど)。 客観的な研究が望める事実判断だけに研究を限定せず、善悪や美醜をめぐる価値判断も扱っている。 言語や身振り、表情の意味の解釈などを含んでおり、判断の恣意性、主観性が高い。 研究を通じて特定の価値判断や物の見方を広めようとしており、中立性を欠く(文化研究など)。 結論に辿り着くプロセスとして、仮説の選定、調査のデザイン、データ収集、分析、結論という順序に従っていない。このため、他の研究者が同じ研究を行っていた場合には結論が異なっていたのではないかと疑われる(グラウンデッド・セオリーなど)。 研究を発表するスタイルとして、事前に採択した仮説、調査のデザイン、分析結果、解釈、結論という体裁をとっておらず、結論が主張され、それを支持する証拠や主な反証に対する反駁が示されるという形をとる。この場合、調査のデザインや分析結果が示されている体裁をとっている場合と比べて、結論を出す際の元になったデータの全容が第三者にはわかりづらい。結論に説得力を持たせるために切り捨てている部分などがあったとしても、第三者はそれに気づかない可能性が高い。 これに対して、定性的研究に従事する者や定性的研究を擁護する立場からの反論や、定量的研究に対する批判も数多く存在している。これらの意見は、認識論的な前提や研究者の社会的役割についての考え方が多様であり、簡単にまとめることが難しいが、以下のようなものが含まれる。 理論研究や古典の研究は、他の研究者への影響や学生への教育などを通じて一定の貢献を果たしている。 研究対象が未知であったり、複雑であったりする場合には、定量的研究では適切に扱うことができない。 要素還元主義的な学問には限界があり、複雑な物事に関する総合的判断を行うためには恣意性とつきあっていかなければならない。 定量的研究にも、研究者が意識していないだけで様々な恣意性がある。定量研究ではそれらを意識化し、考察の対象にしていないために、かえってそうした恣意性に束縛されやすい面もある。 研究対象に対する恣意的な解釈が研究からどうしても除外できない場合があるので、その場合には恣意性との付合い方を考えるべきで、恣意性の徹底排除だけが望ましいアプローチではない。 価値判断を徹底して控えることは、研究者が既存の価値観に対して無批判になることであり、倫理的に望ましいこととは言えない。 積極的に行うか否かに関わらず、学術出版物は社会的影響を持ってしまうので、出版の結果について考えないことは社会的責任の放棄にあたる。
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