官僚としての業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:18 UTC 版)
「サミュエル・ピープス」の記事における「官僚としての業績」の解説
後の時代の海軍本部書記官は海軍省事務次官に相当する役職であるが、当時はロード・ハイ・アドミラル(Lord High Admiral/海軍の統括指揮官)の秘書といった立場であった。よって、ピープスを海軍大臣とする書籍があるが、それは誤りである。 しかし、ロード・ハイ・アドミラルは皇族や上級貴族が任じられ、国王や女王自らが就任することも珍しくない役職であり、実務は書記官が取り仕切るようになる。チャールズ2世はロード・ハイ・アドミラルとなった最初の国王であり、ピープスは国王の名の下で実際に海軍を統括する立場であった。そのため、ピープスはイギリス海軍に於いて大きな影響力を持った最初の書記官としても歴史に名を残している。 すなわち、ピープスは後の時代の海軍大臣に等しい職責を担っていたことは事実である。実際、政敵からは「彼は書記官というよりロード・アドミラルである」と評されてもいる。 イングランド海軍に携わるようになってからは海軍規定の作成に尽力、1668年に始まった第二次英蘭戦争の経験者に送られる恩給(半給制度)対象者を把握するため、自分用に作った乗組士官と将官名簿は後に作成された士官名簿の原型となり、階級制度を生み出すきっかけとなった。また、1676年に任官制度の改革案を提示して、乗組員の中から推薦状を授与されたものが将来の海軍将官への昇進候補となる手順を制度化、半給制度と合わせて海軍の専門化に繋げた。 ピープスが制定した規定で現在では世界標準となったものに礼砲の発射数がある。それまで礼砲は奇数、弔砲は偶数という慣例があっただけで発射数に制限はなく、際限なく発射されていた。しかし、王政復古後のイギリスでは苦しい財政事情の中で海軍の再建と拡充を行なわなければならなかったため、1675年に海軍本部書記官であったピープスは経費節減の一環として礼砲の発射数を規定し、最大発射数を21発とした。この時定められた発射数がその後世界各国に広がり、現在でも国際慣習として踏襲されている。
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