孫文像破壊事件
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2013年初頭、台南第一国際ライオンズクラブが市政府に「孫文像は建立されて以降経年劣化しており、破損・倒壊する危険があるため、通行人の安全を確保するべく移設すべき。」と陳情した。このときの市長で後に行政院長に転身することになる頼清徳は、市政府が德章の命日を「湯德章紀念日」とし、孫文像の移設にも前向きである旨を回答した。 これに対し、中国国民党の党職員で党部主委を務めていた謝龍介(中国語版)(2017年現在は台南市義)は「孫文像は移設せず、市政府予算で修復されなければならない」と反対を表明した。 同年9月2日、元市長の張燦鍙は「孫文は権威をひけらかす統治者ではなかった。争議は無用であり、反対は無意味なものだ。」と発言、像の現状維持後の安全問題について建議した。また、「孫文像は移転させる必要はない。争議があったならその時点でとっくに撤去されていただろう。」と汎緑の急進派をたしなめている。 台南市政府文化局は、市定古蹟の「旧台南大正公園」、すなわちここ民生緑園は日本統治時代の市内各地の重要地点を結び付けただけでなく、旧台南州庁(現国立台湾文学館)や旧台南州会(前市議会)、警察署(現台南市立美術館)やハヤシ百貨店など現存する同時期の歴史的建造物群にも隣接しているが、戦後に設置された孫文像は歴史的に同じ脈絡を有しておらず、戦前の史蹟である公園に似つかわしくないことから、日本時代の史蹟を再考察する障害を取り除くためにも、移設したほうが公園が周辺との一体性をより高め、市の文化面や観光面で相乗効果を見込めるとの立場を表明した。。 2014年2月22日、重さ約600kgの孫文像が引き倒された。実行者は独立派の社会運動団体で社団法人「公投護台湾聯盟(中国語版)」の発起人かつ代表の蔡丁貴(中国語版)率いる数十人の同調者だった。2本のロープを像に縛り、人力で引き倒した。そして白い塗料で「ROC OUT」とメッセージを書き込み赤い塗料を浴びせた。(ROCは中華民国の英略称で「ROCK OUT」にかけたもの)。 その後の警察の調査で、引き倒された銅像は小腿部が断裂し、その痕跡がくっきりと残っていた。つまり先に工具で亀裂を入れてからロープで引き倒したものと明らかになった。 2017年2月15日、台南市政府は残っていた台座を撤去すると発表した。 公園からみた国立台湾文学館(旧台南州庁) 中山路上空からみた公園と文学館 公園の孫文像 像が倒され台座だけが残った公園 公園のホウオウボク 同年9月、市は公園の修復に着手。翌2018年に完了予定。
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