孫文像破壊事件とは? わかりやすく解説

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孫文像破壊事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 09:41 UTC 版)

湯徳章紀念公園」の記事における「孫文像破壊事件」の解説

2013年初頭台南第一国際ライオンズクラブ市政府に「孫文像は建立され以降経年劣化しており、破損倒壊する危険があるため、通行人の安全を確保するべく移設すべき。」と陳情した。このときの市長で後に行政院長転身することになる頼清徳は、市政府が德章の命日を「湯德章紀念日」とし、孫文像の移設にも前向きである旨を回答した。 これに対し中国国民党の党職員で党部主委を務めていた謝龍介中国語版)(2017年現在台南市義)は「孫文像は移設せず、市政予算修復されなければならない」と反対表明した同年9月2日、元市長の張燦鍙は「孫文権威ひけらかす統治者ではなかった。争議無用であり、反対無意味なものだ。」と発言、像の現状維持後の安全問題について建議したまた、孫文像は移転させる要はない。争議があったならその時点でとっくに撤去されていただろう。」と汎緑の急進派たしなめている。 台南市政府文化局は、市定古蹟の「旧台南大正公園」、すなわちここ民生緑園日本統治時代市内各地の重要地点を結び付けただけでなく、旧台南州庁現国台湾文学館)や旧台南州会(前市議会)、警察署(現台南市美術館)やハヤシ百貨店など現存する同時期の歴史的建造物群にも隣接しているが、戦後設置され孫文像は歴史的に同じ脈絡有しておらず、戦前史蹟である公園似つかわしくないことから、日本時代史蹟再考察する障害取り除くためにも、移設したほうが公園周辺との一体性をより高め市の文化面や観光面で相乗効果見込めるとの立場表明した。。 2014年2月22日重さ約600kgの孫文像が引き倒された。実行者独立派社会運動団体社団法人「公投護台湾聯盟中国語版)」の発起人かつ代表の蔡丁貴中国語版率い数十人の同調者だった。2本のロープを像に縛り人力引き倒した。そして白い塗料で「ROC OUT」とメッセージ書き込み赤い塗料浴びせた。(ROC中華民国英略称で「ROCK OUT」にかけたもの)。 その後警察調査で、引き倒され銅像小腿部が断裂し、その痕跡くっきり残っていた。つまり先に工具亀裂入れてからロープ引き倒したものと明らかになった。 2017年2月15日台南市政府残っていた台座撤去する発表した公園からみた国立台湾文学館旧台南州庁中山路上空からみた公園文学館 公園孫文像 像が倒され台座だけが残った公園 公園ホウオウボク 同年9月、市は公園修復着手。翌2018年完了予定

※この「孫文像破壊事件」の解説は、「湯徳章紀念公園」の解説の一部です。
「孫文像破壊事件」を含む「湯徳章紀念公園」の記事については、「湯徳章紀念公園」の概要を参照ください。

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