学業・読書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 17:19 UTC 版)
トゥールの小学校、次いでペリグーの中学校を卒業した後、1917年にリセ・アンリ=カトルに入学し、同じ1905年生まれのジャン=ポール・サルトルと知り合った。通常は引き続き同校のグランゼコール準備級に進むところ、二人ともリセの校長との口論の結果、リセ・ルイ=ル=グランに転校して準備級に進んだ。ニザンは同校の準備級で学ぶ傍ら、リセ・ルイ=ル=グランのアランの哲学の講義などを受講し、1924年にサルトルとともに高等師範学校に入学した。高等師範学校の学生の部屋は同校の学生の俗語で「テュルヌ(thurne)」と呼ばれるが、ニザンとサルトルは「同室(コ・テュルヌ、cothurne)」であった。 リセ在籍中の1922年に初めて詩を書き、書き直して他の詩と併せて1927年にリーデル出版社(フランス語版)(フランス大学出版局の前身)の顧問であったジャン=リシャール・ブロックに送ることになるが、抒情的・幻想的なフランシス・ジャムやジュール・シュペルヴィエルの影響を受けた作品であった。また、ルイ=ル=グランでは象徴派の詩人ボードレール、社会主義の詩人・思想家シャルル・ペギーを耽読する一方で、王党派・極右・国粋主義のアクシオン・フランセーズを結成したシャルル・モーラスに傾倒する教員に彼の作品を読むよう勧められ、後に一時期だが極右に関わるのは、こうした影響であったとされる。このほか、リセから高等師範学校の時代にニザンが愛読した作家として、その影響が指摘されるのはジュール・ラフォルグ、スタンダール、ジャン・ジロドゥ、フローベール、エミール・ゾラ、モーパッサン、ジョルジュ・デュアメル、アンドレ・ジッド、ドストエフスキー、イェイツ、プラトン、ゲーテ、ヴァレリー・ラルボー、デカルト、シェイクスピア、ホメーロス、ポール・クローデル、H・D・ソロー、ド・スタール夫人、サン=ジョン・ペルス、ポール・ヴァレリーと、フランスのみならず、同時代のイギリス、アメリカ、ドイツ、ロシアの作家から古代哲学まで広範に及んでいる。
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