学業ならびに初期の職歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 14:03 UTC 版)
「ブラッドリー・M・クーン」の記事における「学業ならびに初期の職歴」の解説
クーンは、大学準備学校(英語版)(College-preparatory school; カレッジ=プレパラトリー・スクール)のロヨラ・ブレイクフィールド(英語版)校を卒業ののち、ロヨラ大学(英語版)に進学し、1995年5月、計算機科学の学位を首席(summa cum laude)で得て卒業した。クーンは、シンシナティ大学大学院の計算機科学科に入学した。大学院の指導教官は、ジョン・フランコ(John Franco)だった。クーンは論文作成のため学生奨学金をUSENIXより授与されていた。彼の論文は、Java仮想マシンにPerlを移植することを一例として、フリーソフトウェアによる言語との動的な相互運用性をどのように確保するかということを取りあげたものだった。ラリー・ウォールはクーンの査読委員(Thesis committee)を務めている。クーンの論文は、スタックベースの仮想機械をPerlで利用する場合に際し様々な問題があることを明らかにしたが、のちにこの発見がParrot仮想機械プロジェクト立ち上げの根拠の一部になっている。 クーンは、Raku RFC(Request for Comments)プロセスにおける活発な参加者であり、同プロセスにおけるRakuのライセンシングに関する筆頭委員(head of perl6-licensing committee)だった。彼は、ライセンスに関するプロセスに提案された全てのRFCの著作者である。 クーンは、在学中の1998年から1999年にかけて、ウォルナット・ヒルズ・ハイ・スクール(英語版)の計算機科学に関する大学単位認可プログラム(Advanced Placement, AP)において教鞭をふるっている。彼はこのプログラムにて、生徒に独力でGNU/Linuxベースのラボを構築するよう指導している。 クーンは大学院在学中にフリーソフトウェア財団にボランティアとして多く関わっており、2000年1月には、リチャード・ストールマンの補佐として非常勤で雇用されている。この間、クーンが職務を遂行する様子がメーリングリストにて見られる。FSFにおけるクーンの業務において、初期には、彼はFSFのライセンスリストページの作成と管理を提案し、ライセンスの氾濫に関する問題を提起していた。 クーンはまたこの間、Cincinnati Linux User Groupの初期からの活発なメンバーであり、1998年には理事(Board of Directors)を務めており、 多数のプレゼンテーションを残している。
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