ラリー・ウォール
ラリー・ウォールとは、プログラミング言語「Perl」の開発者として知られている米国のプログラマーである。
ラリー・ウォールは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校と、同大学バークレー校で言語学を学んだ。卒業後ユニシス社に入社、そこでPerlの原型となる言語を作成した。後に同社を退き、いくつかのソフトウェア関連企業を転々としながらPerlの拡張を続けていたといわれている。
1996年、ティム・オライリーの誘いを受けて、オライリー社に入社した。経営者であったティム・オライリーはプログラムのオープンソース化を推進する運動の支援者として有名であり、そのもとでラリー・ウォールもPerlのオープンソース化を進めた。

ラリー・ウォールによるPerlの開発とオープンソース化によって、今日のWebサイトのあり方が一面において支えられている。もともとPerlは強力なテキスト処理能力を備えた言語であり、今日のWebサイトの運営には欠くことのできないものになっている。世界トップクラスの巨大なWebサイトにおける膨大な情報の検索や選別に、Perlが用いられている場合も数多い。
1998年、ラリー・ウォールはマサチューセッツ工科大学から「Free Software Foundation Award」を授与されている。
ラリー・ウォール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 21:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ラリー・ウォール Larry Wall |
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生誕 | 1954年9月27日(67歳) |
国籍 | ![]() |
職業 | プログラマ, 作家 |
著名な実績 | Perl |
宗教 | International Church of the Nazarene |
配偶者 | Gloria Wall |
子供 | 4人 |
公式サイト | www.wall.org/~larry/ |
ラリー・ウォール(Larry Wall, 1954年9月27日 - )は、プログラマ、言語学者、文筆家であり、1987年にプログラミング言語Perlを開発したことによって知られている。また、プログラマの三大美徳を唱え始めたのもラリー・ウォールである。
1976年にシアトルパシフィック大学を卒業し、修士号を得ている。Usenet用のソフト、rnを作成し、UNIXで最も広く使われているテキスト差分適用プログラム、patchを作り出した。IOCCCで2度、優勝を収めている。1998年には、フリーソフトウェアへの貢献により、第1回フリーソフトウェア財団賞を受賞している。
言語学を学んでおり、その経験がPerlの作成とそれに関連した一連の著作に役立っている。表紙にラクダの絵が描かれていることで有名であり、しばしば「ラクダ本」と呼ばれる書『プログラミング Perl』の共同著者であり、この本はPerlプログラマの聖典になっている。また、『Perl クックブック』の編集にも関わっている。コンピュータ関連の出版物を数多く発行しているオライリー・メディア社がウォールの著作物を出版している。
現在もPerlの発展に関わっており、このプログラミング言語を開発したことから、優しい終身の独裁者に任命されている。
関連項目
脚注
- ^ “Rubyist Hotlinks【第1回】まつもとゆきひろさん”. Rubyist Magazine 2014年11月10日閲覧。
外部リンク
- Larry Wall's Home Page
- 本家インタビュー:Perl開発者ラリー・ウォール - スラッシュドットによるラリー・ウォールへのインタビュー(2002年9月)
- ラリー・ウォール@Perlは、とっっても愛妻家!/Tech総研 - Tech総研によるラリー・ウォールへのインタビュー(2008年5月)
固有名詞の分類
ソフトウェア作家 |
グイド・ヴァンロッサム おにたま ラリー・ウォール バージル・グリフィス ピエール・オミダイア |
アメリカ合衆国の言語学者 |
アラン・プリンス イグナス・ゲルブ ラリー・ウォール グレゴリー・ベイトソン ジェームズ・マコーレー |
コンピュータに関する人物 |
チャック・サッカー マービン・ミンスキー ラリー・ウォール ロバート・T・モリス アラン・チューリング |
プログラミング言語設計者 |
ロビン・ミルナー グイド・ヴァンロッサム ラリー・ウォール ウォルター・ブライト アラン・ケイ |
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