学業・詩作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:40 UTC 版)
詩人ステファヌ・マラルメ、心理学者ピエール・ジャネ、哲学者アンリ・ベルグソンらが教鞭を執っていたパリ9区のコレージュ・ロラン(フランス語版)に学び、父の影響で文学に親しみ、アレクサンドランなどの定型詩を書き始めた。ソルボンヌ大学に入学し、文学学士号を取得。在学中の1892年(19歳のとき)に保守・国粋主義の新聞『エコー・ド・パリ』(1884年創刊)の詩のコンクールで受賞したのを機に、同紙を主宰していた詩人のカチュール・マンデスやマルセル・シュウォッブに認められ、彼らの象徴派詩人・作家のグループに参加した。特にマンデスはバルビュスの著作活動を積極的に支持し、処女詩集『泣く女たち』(1895年)の出版のために尽力。ロマン派・象徴派的なこの詩集はたちまち好評を博した。 1898年、バルビュスは、マンデスと作曲家オーギュスタ・オルメスの間に生まれた(ルノワール作《カチュール・マンデスの娘たち》で知られる)三人娘の末子のエリヨンヌ(Hélyonne)と結婚した。
※この「学業・詩作」の解説は、「アンリ・バルビュス」の解説の一部です。
「学業・詩作」を含む「アンリ・バルビュス」の記事については、「アンリ・バルビュス」の概要を参照ください。
- 学業・詩作のページへのリンク