学校体罰論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/03 14:56 UTC 版)
「ダン (ノースカロライナ州)」の記事における「学校体罰論争」の解説
1981年12月、ダン高校の生徒3人が授業をサボった罰として、副校長のグレン・バーニーから木製のヘラで叩かれた。ノースカロライナ州では学校の体罰は合法であり、当時のハーネット郡教育学区でも認められていた(2008年に方針を変更して体罰を禁止した)。この体罰について、生徒の1人シェリー・ガスパーソン、17歳の両親が、翌年5月にバーニーと学校に対して55,000ドルの損害賠償訴訟を起こした。これは「ガスパーソン対ハーネット郡教育委員会事件」と呼ばれ、その体罰は厳しすぎると訴えた。1982年10月にシェリーが18歳になり、直接の原告になった。1983年12月、1週間の審問と15分間の協議後に、陪審員は被告有利の判断を行い、その後原告が控訴したが、2年後にノースカロライナ州最高裁判所が控訴を棄却した。この裁判について、原告の証人にもなった心理学者アーウィン・ハイマンが1990年に著した著書『読み書きとヒッコリーの棒』の中で批判した。 1984年10月17日、シェリー・ガスパーソンはアメリカ合衆国上院少年司法小委員会の場で証言した。この小委員会はペンシルベニア州選出上院議員のアーレン・スペクターが委員長を務めていた。シェリーの証言では、彼女が体罰を受けたあとの日々で痣と外部出血の治療をした郡の医療検査官が、バーニーを児童虐待で告訴した(裁判の時は提示を認められなかった事実)が、「公立学校の教師に対して児童虐待を調査できる機関がない」と陳述した。シェリーの母マーリーン・ガスパーソンも同じ委員会で証言した。学校が生徒に対する体罰を管理する権利があると思うかを尋ねられたとき、「以前は権利があると思っていたが、それが生んだトラウマを経験した後では、それに対する考えを完全に変えた」と答えた。 シェリー・ガスパーソンは「USAトゥディ」1984年10月23日版の投書欄でも、学校体罰の廃止を訴えた。
※この「学校体罰論争」の解説は、「ダン (ノースカロライナ州)」の解説の一部です。
「学校体罰論争」を含む「ダン (ノースカロライナ州)」の記事については、「ダン (ノースカロライナ州)」の概要を参照ください。
- 学校体罰論争のページへのリンク