好太王碑文改竄説
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発表当時(1972年)に流布していた数十例の日本・中国・朝鮮の碑文写真や拓本を精査して編年を行ない、当時の拓本のほとんどが碑面に石灰を塗布して改竄した新しい碑文から拓出されたものであるという指摘であり、5世紀の朝鮮半島に日本が権益を有していたように捏造するために、広開土王碑文の拓本を持ち帰った日本軍部が碑面に石灰を塗布して倭・任那関係の記事の改竄を行ったとするものである。その後の原石拓本の発見によりこうした改竄のなかったことが確認され、逆に朝鮮・韓国の学者の読み替えが批判されることともなった。
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好太王碑文改竄説
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詳細は「好太王碑#大日本帝国陸軍による碑文改竄説とその破綻」を参照 1972年(昭和47年)、酒匂が持ち帰った拓本を研究対象にした在日コリアンの考古学・歴史学者の李進熙が、酒匂による拓本の改竄・捏造説を唱えた。李進熙の説は、5世紀の朝鮮半島に倭(日本)が権益を有していたように捏造するために、酒匂が拓本を採取する際に碑面に石灰を塗布して倭・任那関係の文章の改竄をおこなったとするものである。 その後、中国の吉林省文物考古学研究所は現地で実際に拓本取りを専門としていた拓工達とその子孫の証言を収集し、中国人の拓工達が好太王碑の表面に石灰を塗布して拓本取りをおこなっていた事実を確認した。しかし、酒匂による石灰の塗布の証拠は発見されなかった。さらに、李進熙が酒匂による捏造文書と断定した文面(例えば「倭以辛卯年来渡海破」など)が現存する好太王碑の表面からも読み取れることが確認された。これらの研究結果は文物考古学研究所長の王健群により発表され、1984年(昭和59年)に日本語訳も出版された。 その後、2005年(平成17年)6月23日に酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見され、その内容は酒匂本と同一であると確認された。さらに2006年(平成18年)4月には中国社会科学院の徐建新により、1881年(明治14年)に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表され、これにより李進熙の改竄・捏造説は完全に否定され、その成果は(徐 2006)として発表された。
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