好善社
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1877年(明治10年)「キリストの精神を社会的に実践する」と女生徒10人と好善社を設立する。社長は竹村小安以(こあい)が就任した。ヤングマンは社を代表の地位には付かず、好善社の見張り役として働いていた。1891年(明治24年)社則が改められ、伝道、教育、慈善の3本立てとなった。 1892年(明治25年)日本基督芝教会の信者である津島八重は、ハンセン病を発病しカトリック系の神山復生病院に入院していたが、宗教の違いで逃げ出していた。この事を知り、ヤングマンはプロテスタント系のハンセン病施設を作りたいと発議した。アメリカ長老教会からの資金援助は断られたので、1893年(明治26年) MTL(the Mission to Lepers「ハンセン氏病ミッション」)という団体に資金援助を求める。
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