女子教育の変遷・非宗教的教育
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「エリザ・ルモニエ」の記事における「女子教育の変遷・非宗教的教育」の解説
一方、1833年6月28日の法律(ギゾー法(フランス語版))により、人口500人以上のコミューンに小学校を設置することが義務付けられ、この結果、義務教育が導入されたが、対象は男子のみであった。1850年3月15日の法律(ファルー法(フランス語版))によって人口800人以上のコミューンに女子向けの小学校を設置することが義務付けられたときに初めて、義務教育が女子にも適用されることになった。すでに1848年に公教育相に就任したイポリット・カルノー(フランス語版)は、男子校・女子校を同数にすること、女性教師の高等師範学校を設立すること、コレージュ・ド・フランスに女子学生のみを対象とする講座を開講すること、そしてこのために前年コレージュ・ド・フランスで「女性精神史」(翌48年出版)の講義を行ったエルネスト・ルグーヴェ(フランス語版)を任命していたが、翌49年の選挙で保守派が勝利すると、王党派のアルフレッド・ド・ファルー(フランス語版)が公教育相に就任し、カルノーの提案は実現されなかった。さらに1853年12月31日のデクレにより、女子中等教育は実質的にカトリック教会が担うことになった。カトリックの聖職者は、女性が高等教育を受けると「自然によって定められた」女性の役割から逃れようとし、家事・育児をおろそかにする、したがって、社会の基盤である家庭の破壊につながるおそれがあるという発想から、進歩的な考え、ライシテ(政教分離)、「理性の崇拝」にことごとく反対した。 こうした背景から、エリザは敬虔なプロテスタントでありながら非宗教的な女子教育が必要であると考えた。実際、1880年にフォントネー=オー=ローズに女子高等師範学校を創設した初等教育局長フェルディナン・ビュイソンとフェリックス・ペコー(フランス語版)牧師をはじめとし、初等教育の無償化、義務化、非宗教化に向けたジュール・フェリーの教育改革(ジュール・フェリー法(フランス語版))において中核的な役割を担ったのはプロテスタントであった。
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