太田川水系の新ダム計画とは? わかりやすく解説

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太田川水系の新ダム計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:26 UTC 版)

温井ダム」の記事における「太田川水系の新ダム計画」の解説

一方原爆投下による壊滅被害より奇跡的な復興遂げた広島市では、マツダ自動車工場始め工場進出、また人口飛躍的に向上して上水道需要急激に増加した。これに対し太田川水系では上水道供給目的としたダムなどの大規模水道施設整備遅れていた。このため建設省中国地方最大河川江の川太田川水系連結した形での開発企図江の川本流土師ダム1975年昭和50年)に完成させて中国電力可部発電所経由した形で江の川河水太田川導水同年完成した太田川本流高瀬堰より取水する形で広島市などの需要対応しようとした。しかしその後広島市人口増加し遂に100万人を超える至った。また離島である芸予諸島水不足慢性化しており、新たな水資源開発取り組む必要性生じた1972年7月豪雨による甚大な被害機に建設省太田川水系治水計画再検討することになり、1975年4月太田川水系工事実施基本計画改定が行われた。この中で従来河川改修加え洪水調節目的有する多目的ダムの建設計画され検討結果太田川本流と、昭和47年7月豪雨で特に降水量多かった滝山川ダム建設することが定められた。治水基準点である広島市安佐北区玖村計画高水流量毎秒12,000立方メートルとし、この内太田川上流計画ダム群で毎秒4,500立方メートル調節残り毎秒7,500立方メートル堤防整備河道改修などで調節するとした。また増え続け広島市などの需要にも対処することがダムの目的盛り込まれた。 こうして計画されたのが温井ダムである。温井ダム1967年昭和42年4月よりダム地点地質などを調査する予備調査実施されていたが、豪雨災害機に1974年昭和49年4月より滝山川総合開発事業として実施計画調査開始され太田川水系工事実施基本計画改訂後の1977年昭和52年7月には基本計画官報告示された。なお、工事実施基本計画浮上した太田川本流ダム山県郡戸河内町吉和郷地点検討され吉和郷ダム計画となったがこちらについては計画が進むことはなかった。

※この「太田川水系の新ダム計画」の解説は、「温井ダム」の解説の一部です。
「太田川水系の新ダム計画」を含む「温井ダム」の記事については、「温井ダム」の概要を参照ください。

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