天神峰現地闘争本部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 04:12 UTC 版)
反対同盟によって成田国際空港B滑走路予定地西側の天神峰(反対同盟副委員長所有地)に1966年(昭和41年)12月に建てられた三里塚闘争における最初の団結小屋。場所は千葉県成田市天神峰字南台42-3、敷地面積は約113平方メートルであった。 もともと反対同盟員の個人宅で集会を行っていたが、闘争が本格化し始め、本部を建設することになった。建設当初は木造平屋建てであった。後に増築され、鉄筋モルタル3階建てとなった。 1989年(平成元年)に成田新法に基づいて使用禁止となり、鉄条網で封鎖されたうえ、警察によって厳重に警備された。2003年(平成15年)に地権者からの買収を完了した成田国際空港株式会社(NAA)が、翌2004年(平成16年)に反対同盟北原派を相手取って建物の撤去と敷地明け渡しを求めて提訴した。 2002年(平成14年)にB滑走路は暫定滑走路として供用を開始されたが、平行誘導路の一部がこの建物を避けるため大きく滑走路側に『へ』の字に湾曲し、運用上の制約となっていた。供用間もない2002年12月1日には、この箇所で航空機同士の接触事故が発生している。 2010年(平成22年)2月25日、千葉地方裁判所は反対派が土地使用の根拠とした『地上権』は認められないとし、NAAに建物撤去と敷地明け渡しを命じる民事訴訟判決が下った。なお、『団結街道』と呼ばれていた団結小屋に続く市道も、B滑走路西側誘導路の新設・線形改良によって成田空港の用地に取り込まれる為、廃道となった。 2011年(平成23年)5月20日に、東京高等裁判所は反対派の控訴を棄却し、建物撤去と土地明け渡しの仮執行宣言を付す判決を出した。8月6日早朝より仮執行によって強制撤去が行われた。 撤去後、湾曲箇所の線形改良工事が施され、誘導路上での待機がなくなり、運用上の制約がほぼ解消された。ただし、東峰地区に反対派の耕作地があるため、平行誘導路の湾曲部が残されている。
※この「天神峰現地闘争本部」の解説は、「団結小屋」の解説の一部です。
「天神峰現地闘争本部」を含む「団結小屋」の記事については、「団結小屋」の概要を参照ください。
- 天神峰現地闘争本部のページへのリンク