大阪テレビ消滅とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:21 UTC 版)
「大阪テレビ放送」の記事における「大阪テレビ消滅とその後」の解説
OTVがABCに合併したことに伴い、ABCのテレビ部門がKRTのネットワークに加わった。毎日放送も当初はKRT系列局として開局を目論み、KRTに出稿していた各スポンサーを説得していたが、1958年(昭和33年)11月の開局直前、KRTの今道潤三常務(当時。のちTBS社長、会長を歴任)から「ラジオ東京は大阪テレビ放送とネットワークを組んでいるので、毎日放送へは番組を送ることが出来ない」と断られ、1959年(昭和34年)3月1日に開局を延期した上で、日本教育テレビ(NETテレビ。現・テレビ朝日)とネットワークを組まざるを得なくなった。 MBSテレビがネットワークを組んだ、NETテレビのニュース番組は朝日新聞が全面的に制作を請け負う事になったが、大阪ではMBSにネットされ、毎日新聞系のMBSが素材提供の形で制作に参加していた。3社ニュース版「毎日新聞ニュース」がTBSからMBSに、「朝日新聞ニュース」が1964年(昭和39年)より、NETからABCにそれぞれ裏送りされていた。このねじれ現象は新聞社の側から「腸捻転」と呼ばれ、1975年(昭和50年)3月31日に解消するまで続いた。田中角栄はこの「腸捻転」が発生したことに気付き、その解消に腐心する事となる。詳細は「ネットチェンジ#大阪準キー局「腸捻転」の解消」および「全国高校野球選手権大会中継#概要」を参照 旧OTVの本社社屋は合併後、ABC堂島社屋(朝日放送テレビ社屋)となり、1966年(昭和41年)に大淀社屋へ移転するまで、引き続きテレビ放送を行った。「ABCセンター#概要」および「新朝日ビルディング#概要」も参照 生駒山上の親局送信所は現在地とは異なり、生駒山上遊園地の飛行塔に隣接していた。ABC合併後も長らく使用されたが、1978年に移転され現在は建物はそのまま居抜きでエキサイティングゲームコーナーとなっている。飛行塔を利用した場合、この建物屋上にあった鉄塔跡の痕跡が見える。 OTVの略称は後に、沖縄テレビ放送の略称となった。コールサインのJOBX-TVは1959年のABCへの合併後、34年間に渡って使われていなかったが、1993年に開局した大分朝日放送(OAB)に再交付された。 2018年(平成30年)4月1日にABCが認定放送持株会社体制への移行に伴う組織改編を行い、テレビ事業も非上場事業会社「朝日放送テレビ株式会社」として分社化。それに伴う放送免許を新会社に移行した。これにより、1959年にOTVを吸収合併して以来、約60年ぶりにABCのテレビ事業が単営局での運営に戻る形となる。ただし、コールサインは上述の通りJOBX-DTVがOABに再度割り当てられているため、新たにJOAY-DTVが割り当てられる事になった。
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