大相撲における床山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 06:15 UTC 版)
日本相撲協会が採用し、力士、行司、呼出と同様に各相撲部屋へ所属して、相撲部屋で寝起きしながら大相撲力士の結髪を行う。定員は50名となっているが、力士が12名以上所属している相撲部屋で床山がいない場合には、定員を超えて床山を採用することができる。採用資格は義務教育を修了した満19歳までの男子、停年(定年)は満65歳である。経験は不問で、理容師や美容師の免許資格は必要ない。明確な規定はないが力士経験者が床山に転向することも可能である。 髪結いには、関取以上の大銀杏、幕下以下の力士や関取以上でも普段の生活時に行うちょん髷がある。大銀杏は びん付け油、すき櫛、前掻け、揃い櫛、荒櫛、握りはさみ、髷棒、先縛り、束ねた髪を元の部分で結う細く丈夫な元結を使い力士の顔形に合わせ仕上げていく。元結を引っ張る際に歯で噛むため、歯や顎が強い人の方が良い。横綱の髷を結う程になると、その髪結いの手応えで調子の良し悪しまで分かるといわれている。また長く同じ力士の髷を結っていると、自然と結い方(力士本人の好みや髪質など)を覚えていき、信頼関係も生まれる。このためベテランの関取はずっと同じ床山に髷を結ってもらうことが多い。力士との間の人間関係も重要視され、例として曙が1993年の横綱昇進を期に大銀杏(おおいちょう)を結うのを所属する東関部屋の床山ではなく高砂一門のベテランに頼もうとした際にはそのベテラン床山に「これまでの床山を大事にしろ」と諭され、素直に従ったという。 床山は大銀杏が結えるようになって一人前とされるが、そこまでに5年以上かかるとされ、慣れたベテラン床山でも大銀杏を結うには15分から20分を要する。 第二次世界大戦などの影響で戦後の床山は減少し、1960年頃には定員35名のところ20名弱しか床山がいなかった。当時は元力士や力士志望からの転向者も多かった。 床山名として、先頭の文字が「床」となる名前を名乗る。 現在の番付には、特等床山と一等床山が最下段の呼出の左側の欄に書かれている。ただし、番付に床山が載るようになったのは大相撲の歴史から見てもかなり最近の2008年(平成20年)1月場所からで、その当初は特等床山のみが書かれていた。2012年(平成24年)1月場所から現在のように一等床山まで書かれるようになった。
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