大槻玄沢
(大槻磐水 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/19 08:23 UTC 版)
大槻 玄沢(おおつき げんたく、宝暦7年9月28日(1757年11月9日)- 文政10年3月30日(1827年4月25日))は、一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者。諱は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。出身地の磐井川から磐水(ばんすい)[2]と号す。『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名である。
- ^ 大槻玄沢肖像 - Waseda University Library - 早稲田大学
- ^ [『GENTAKU~近代科学の扉を開いた人~』一関市博物館 2007年(平成19年)9月22日]
- ^ a b 関(2008)p.27-28
- ^ a b c d e 「大槻玄沢」朝日日本歴史人物事典
- ^ 岡田俊裕 2011年 208ページ
- ^ 大槻玄沢・志村弘強『環海異聞』雄松堂出版 ISBN 4841900985
- ^ 生計纂要 - 宮城県
- ^ 関(2008)p.175
- ^ ローレンツ・ハイスター(Lorenz Heister)の外科書の翻訳。文政8年(1825年)完成。
- ^ 早稲田大学図書館の貴重図書(1)
- ^ 国指定文化財等データベース
- ^ 『ダ・ダ・スコ』p25-29
- ^ 宗家の代数:『GENTAKU』一関市博物館(2007年)
- 大槻磐水のページへのリンク