大探検時代の探検家とは? わかりやすく解説

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大探検時代の探検家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:46 UTC 版)

探検家」の記事における「大探検時代の探検家」の解説

ヨーロッパで探検時代大航海時代)がはじまると、ヨーロッパ各国有力なパトロン国家的または商業上の戦略としてさまざまな探検サポートしたポルトガルエンリケ航海王子は特に有名である。この時代探検盛んになった背景には船や航海術発達、そして西洋諸国商業主義資本主義の道を歩み始めていたことが挙げられるとりわけアラビア商人一手握っていたインドとの交易最大目的であり、コロンブスアメリカ到達結局はインド目指したものだった。よく知られた話だがコロンブス自身自分インド到達した思い込んでいた。結局のところインドとの交易喜望峰周り航海したヴァスコ・ダ・ガマにより達成された。 この時代探検家では1492年アメリカ大陸到達したコロンブスがもっと知られている。コロンブスの他にも、アフリカ南端回りインドカリカットコーリコード)に到達したヴァスコ・ダ・ガマ世界一周航海なしとげたマゼランは有名である。ただし、マゼラン自身航海途上フィリピンマクタン島ラプ=ラプ率い現地人間殺されてしまう。マゼランの航海265人で出発したが、無事にスペイン帰還したのはフアン・セバスティアン・エルカーノ含めわずか18人だった。 大探検時代主な探検家次の通り バルトロメウ・ディアス1450年頃 - 1500年喜望峰到達 クリストファー・コロンブス1451年頃 - 1506年アメリカ大陸到達 ヴァスコ・ダ・ガマ1469年頃 - 1524年喜望峰経由インド到達 ペドロ・アルヴァレス・カブラル1460年 - 1526年ブラジル到達 フェルディナンド・マゼラン1480年 - 1521年世界一周 フランシス・ドレーク1543年 - 1596年世界一周 マルティン・アロンソ・ピンソン1441年 - 1493年コロンブス同行航海における最大協力者ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン1460年 - ?) コロンブス同行ブラジル探検。初のブラジル到達者とするか意見分かれる。 アロンソ・デ・オヘダ(スペイン語版英語版)(1465年 - 1515年アメリカ探検コロンブスヴェスプッチ同行アメリゴ・ヴェスプッチ1454年 - 1512年南米探検コロンブス到達した土地インドとは異なる「新大陸」であることを報告貧困で死ぬ。 ジョヴァンニ・カボート(1450年 - 1498年頃) 北米探検 セバスティアーノ・カボート(1474年頃 - 1557年北米探検 バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア1475年 - 1519年スペイン太平洋到達パナマ地峡横断反逆罪処刑されるエルナン・コルテス1485年 - 1547年アステカ征服したコンキスタドールフランシスコ・ピサロ (? - 1541年,スペインインカ帝国征服協力者ディエゴ・デ・アルマグロの子殺される

※この「大探検時代の探検家」の解説は、「探検家」の解説の一部です。
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