大型二輪車の開発
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1960年代には米軍からの仕事が少なくなり、同社航空関係部門から、新たな交通の足となっていた二輪車の設計に従事することとなった。1967年、国内の小型二輪車の市場はホンダ、ヤマハ、スズキの大手3社で寡占状態となり、川崎重工業は大型二輪車で対抗することを決定し、とくに北米市場を重視。大型化・大出力化した新型エンジン・車体の設計をする新規プロジェクトの責任者に大槻が抜擢された。大槻は世界一の馬力・パフォーマンスを常に唱えていたため、カワサキ・モータースの役員アラン・マセックから「Mr. Horse Power」とのニックネームをもらい、「Mr. HP」や「HP大槻」と呼ばれるようになった。北米の市場調査をし、現地のアメリカ人調査員の意見を最重視し、当時としては、異例の開発方法であるマーケット中心で製品の開発設計・製造を行い、その結果としてカワサキ・マッハIIIが開発された。また、排気ガス規制の強化による将来的な4ストローク時代を予測し、1967年に4ストローク、4気筒、DOHCの具体化に関する研究を始めた。1968年10月、ホンダから4ストローク、4気筒SOHCのCB750が登場すると、これに対抗するため、開発中のN600プロジェクトを中断し、後のカワサキ・Z1の開発を始めた。ライバル企業の方が技術者が多いため、普通に対抗しては負けると考えた。そこで、旧日本軍の零戦の要求仕様を参考に、最高性能の要求に対して新しい開発方法を模索し、商品の需要が大きなアメリカの販売会社の意見・要求を重視して開発するようにした。
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