大久保領家とは? わかりやすく解説

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大久保領家

読み方:オオクボリョウケ(ookuboryouke)

所在 埼玉県さいたま市桜区

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒338-0826  埼玉県さいたま市桜区大久保領家

大久保領家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/02 08:34 UTC 版)

日本 > 埼玉県 > さいたま市 > 桜区 > 大久保領家
大久保領家
大久保の大ケヤキ
大久保領家
大久保領家の位置
北緯35度52分7.9秒 東経139度36分6.3秒 / 北緯35.868861度 東経139.601750度 / 35.868861; 139.601750
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
桜区
地域 浦和地区
標高
8 m
人口
2017年(平成29年)9月1日現在)[1]
 • 合計 6,589人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
338-0826[2]
市外局番 048[3]
ナンバープレート 大宮

大久保領家(おおくぼりょうけ)は、埼玉県さいたま市桜区大字郵便番号は338-0826[2]

地理

さいたま市桜区北部の沖積平野荒川低地)に位置する。北で神田、東で上大久保、南で下大久保、西南で上大久保の飛地、西で五関と隣接する。西辺を鴨川が流れる。また、南辺から東辺にかけて鴨川の支流である作田排水路が流れる。この作田排水路は一部暗渠化されている。地区の南部および東部の境界を古入間川が流れていて[4]、その名残が自然堤防の存在や道路の線形に見て取れる。地区の南方の羽根倉橋周辺に5つの飛地がある。内、荒川河川敷の飛地は入会地[5]由来である。地内は北西端に僅かに残る市街化調整区域を除き市街化区域[6]で、大泉院通りを境に南側が第一種住居地域、北側が第二種中高層住居専用地域である。市街化調整区域内もほぼ住宅地で占められている。

河川

地価

住宅地の地価は2015年平成27年)1月1日に公表された公示地価によれば大久保領家字中作田563番32外の地点で13万5000円/m2となっている[7]

歴史

古代には足立郡郡衙があったと推定されている。 江戸期武蔵国足立郡植田谷領に属する領家村であった[5]。発足時は幕府領で、正保年間に一時的に旗本朝岡氏が知行の時期があった[5]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では151余、『元禄郷帳』では156石余、『天保郷帳』では187石余。化政期の戸数は50軒余で、村の規模は東西7余、南北6町余であった[5][8]幕末時点では足立郡領家村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[9]1869年明治2年)に成立した大宮県浦和県の時期を経て1871年(明治4年)の第1次府県統合により埼玉県の管轄となり、1879年明治12年)の郡区町村編制法により領家村は北足立郡に属したが、郡内に同名の村が複数あったため通称として植田谷領を冠称した。1889年(明治22年)4月1日、領家村は大久保村へ合併し、大久保村の大字領家となり、1955年昭和30年)の大久保村の浦和市への合併後は村名の大久保を冠称した[5]。2001年(平成13年)5月1日に浦和市が大宮市与野市と合併しさいたま市となった際にさいたま市に属し、2003年(平成15年)4月1日にさいたま市に9つの行政区が発足した際に桜区に属している。

地名の由来

地名は荘園領主(領家)に由来すると思われる[5]

領家村に存在していた小字

  • 神作田[10]
  • 中作田
  • 方町
  • 西角
  • 道場
  • 川原
  • 不作田
  • 通前
  • 広谷
  • 沼尻
  • 大砂
  • 千田切
  • 天神前
  • 円蔵寺

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
大久保領家 2,974世帯 6,589人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[11]

番地 小学校 中学校
全域 さいたま市立大久保東小学校 さいたま市立上大久保中学校

交通

地内に鉄道は敷設されていない。最寄駅はJR東日本埼京線南与野駅が、字中作田563番地32外の地点よりおよそ2.5  km[7]の場所にある。

道路

地域

寺社

文化財

  • 大久保の大ケヤキ - 県指定天然記念物。日枝神社の参道にある幹回り9.4 m、高さ20 mの県内最大のケヤキの神木八百比丘尼が植樹したという伝承が残されている[13][14]
  • 薬師堂のヒイラギ - 旧浦和市指定天然記念物。幹回り1.7 m、高さ9 m[15]の雌株である。
  • 大久保領家遺跡 - 大泉院の南西に位置する弥生時代から中世に至る複合遺跡。1985年(昭和60年)以降数回の発掘調査が行われ、方形周溝墓、弥生時代後期・古墳時代前期・平安時代の竪穴建物跡、奈良時代、中世の輸入陶磁器(青磁)などが発見された。足立郡衙と推定されている。
  • 春日氏一族の墓(大泉院内)

公園・緑地

  • 大久保領家公園
  • 大久保領家川原児童公園
  • 大久保領家ケヤキ公園
  • 下作田公園
  • 西角公園

施設

脚注

  1. ^ a b さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月29日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 国土地理院の『治水地形分類図』等を参照。
  5. ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』898頁。
  6. ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
  7. ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  8. ^ 新編武蔵風土記稿 領家村.
  9. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
  10. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1388頁。
  11. ^ さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
  12. ^ 『「街の達人」でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、72-73頁。ISBN 978-4-398-60135-3 
  13. ^ 文化財紹介 大久保の大ケヤキ - さいたま市 .(2013年12月27日)、2016年7月4日閲覧。
  14. ^ 樹齢約1000年の巨木 大久保の大けやき - 埼大通り商店会IT委員会(埼大通り商店会) .(2014年5月1日)、2016年7月6日閲覧。
  15. ^ 文化財紹介 薬師堂のヒイラギ - さいたま市 .(2014年1月6日)、2016年7月6日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク



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