多重人格概念の復活とは? わかりやすく解説

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多重人格概念の復活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 00:07 UTC 版)

解離性同一性障害」の記事における「多重人格概念の復活」の解説

1955年にセグペン (Thigpen, C.H.) とクレックレー (Cleckley,H.M.) らが、『イブの三つの顔』という有名な症例最初報告を行う。その症例1957年出版邦題:『私という他人多重人格病理』)されベストセラーとなり、映画大ヒットアカデミー賞までとった。精神医学界への影響はあまり無かったが、北米一般の人に「多重人格」の認識が広まる。 多重人格概念復活直接契機は、1973年精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー (Schreiber,F.R.) が、精神分析医コーネリア・ウィルバーン (Wilburn,C.B.) の患者の治療記録シビル』(邦題失われた私』)を著したことである。この本の出版前にはDIDの症例わずかに75であったが、『シビル以降25年で4件にものぼるとされる。この本も刊行後か月わたってベスト・セラートップ10名を連ね1976年にはテレビ映画化されエミー賞受賞した。そこはセグペン (Thigpen, C.H.) の『イブ3つの顔』の反響と同様であるが、違うところは精神医学世界にも大きな影響及ぼしたことである。DIDと児童虐待が結びつけられイメージされるようになったのも同書始まりであり、16もの人格認められた。『シビル』を契機とする多重人格概念復活の裏には以下のような社会的背景があった。 1962年発表されケンペ (Kempe,C.H.) らの「被虐待児症候群」(The battered-child syndrome)という論文契機に、1963年から1967年までの間にアメリカ全州虐待通報制度制定されたこと。1974年には児童虐待防止法制定され通報範囲拡大し、さらに実態明らかになった。 ベトナム戦争帰還兵心的外傷大きな社会問題となりPTSD代表される外傷性精神障害研究進んだこと。 フェミニズム運動高まりの中で、児童虐待や、近親姦レイプなどでもベトナム戦争帰還兵似た外傷性精神障害見られることが徐々に明らかになったことである。 そして、ベトナム戦争という因果関係明らかな大量外傷性精神障害発生直接契機とした心的外傷PTSD研究とともに、主に児童虐待観点から多重人格症例にも光があたり、現在に繋がる「解離」「多重人格」の再発見が始まる。

※この「多重人格概念の復活」の解説は、「解離性同一性障害」の解説の一部です。
「多重人格概念の復活」を含む「解離性同一性障害」の記事については、「解離性同一性障害」の概要を参照ください。

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