外交・国防政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:34 UTC 版)
「ユーリ・アンドロポフ」の記事における「外交・国防政策」の解説
アンドロポフは書記長就任後、アフガニスタンにおけるソ連軍の絶望的な状況やポーランドでの民主化運動の激化など一連の厳しい外交状況に直面した。とりわけ最も大きな外交的苦難であったのは、アメリカのロナルド・レーガン大統領によって開始された「新冷戦」の激化であった。レーガンはソ連を「悪の帝国(Evil Empire)」と非難し、アメリカの強大な経済力を背景にソ連経済にダメージを与えることを画策していた。具体的には、アメリカが軍事に対し膨大な投資をすることで、ソ連が軍事支出を増加せざるを得ない状況を作り出し、既に衰退が始まっていたソ連経済を圧迫させることであった。これに対しアンドロポフは声明で「米ソの対話には賛成だが。対話のための対話や、力の立場からの対話には応じられない」と冷徹な返答を与えつつも、軍事予算を総予算の70パーセントまで引き上げることを余儀無くされた。更に東側陣営の盟主としてシリア、イラク、リビア、南イエメン、キューバ、北朝鮮、パレスチナに数十億ドル規模の軍事援助を行うことで新冷戦に対処した。アンドロポフの主たる目標は、あくまでも開戦を避けることだった。アンドロポフはソ連邦成立60周年記念集会で「米ソ双方が戦略兵器を25パーセント以上削減し、同数の運搬手段を持つこと」、「ソ連は英仏のミサイル保有数と同数まで長距離戦域ミサイルを削減する用意がある」などと提案。さらにアフガニスタンからの撤退を模索し始め、デタントの再構築を図ろうとしたものの、その間絶え間なく戦闘は続き、アンドロポフ在任中の撤兵は実現しなかった。 1983年3月23日、レーガンが戦略防衛構想(スター・ウォーズ計画)を発表した際、アンドロポフは「この構想に対抗することは、無責任なだけではなく非常識なことだ」と述べた。 同年8月、アンドロポフはソ連が宇宙空間における全ての軍事作業を停止していることを発表した。一方、欧米との中距離核戦力に関する軍備管理協議は11月にソ連によって中断され、年末までに全ての軍備管理協議は打ち切られた。 最高指導者としての短い在任期間中の最も著名な行為の1つに、アメリカの10歳の少女であるサマンサ・スミスからの手紙に応答し、ソ連へ招待したというものがある。スミスは実際にソ連を訪問したものの、当のアンドロポフは病気が進行しており、面会は叶わなかった。
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