堺地区
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「日本製鉄和歌山製鉄所」の記事における「堺地区」の解説
1961年(昭和36年)、八幡製鐵の製鉄所として発足した。同年操業を開始したのが形鋼を圧延する大形工場で、現在残る唯一の工場でもある。1965年(昭和40年)には高炉が完成し、銑鋼一貫体制が確立した。1970年(昭和45年)の新日鉄発足に伴い、同社堺製鐵所となる。1980年代に入ると設備の縮小が相次ぎ、1984年(昭和59年)には2基あった高炉が1基のみとなり、翌1985年(昭和60年)には熱延鋼板の生産も終了した。1990年(平成2年)には高炉と製鋼部門が休止し、銑鋼一貫製鉄所から形鋼の圧延工場へと縮小した。 大形形鋼の生産拠点であり、H形鋼や造船用山形鋼、鋼矢板などを生産している。製鉄所構内には日本製鉄グループの大阪製鐵堺工場があり、同工場では電気炉によって製鋼作業が行われている。 事業の縮小で生じた高炉・原料ヤード等の跡地は再開発され、企業の工場や物流拠点が新たに建っている。
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1959年(昭和34年) - 堺建設本部設置。 1961年(昭和36年)10月1日 - 八幡製鐵堺製鐵所として発足。 1961年(昭和36年)11月26日 - 大形工場稼動開始。 1964年(昭和39年)4月1日 - 熱延工場稼動。 1965年(昭和40年)6月24日 - 第1高炉初火入れ。 1965年(昭和40年)6月29日 - 転炉新設。 1967年(昭和42年)7月31日 - 第2高炉初火入れ。 1970年(昭和45年)3月31日 - 新日本製鐵発足、同社堺製鐵所となる。 1981年(昭和56年) - 連続鋳造設備を新設。 1981年(昭和56年)5月 - 東ドイツのホーネッカー国家評議会議長が訪問。 1983年(昭和58年)5月 - 第1高炉休止。 1984年(昭和59年) - 第1高炉吹降し。 1985年(昭和60年)3月 - 熱延工場休止。 1989年(平成元年) - ハイパービーム(H形鋼・CT形鋼の一種)製造開始。 1990年(平成2年)3月 - 第2高炉・転炉・連続鋳造設備など製銑・製鋼設備が全休止。 1990年(平成2年)4月 - 堺製鐵所構内での電気炉操業を目的に、大阪製鐵と合同製鐵の共同出資で関西ビレットセンター設立。 1998年(平成10年) - 大阪製鐵堺工場設立。 1999年(平成11年)10月 - 大阪製鐵が関西ビレットセンターを合併。 2000年(平成12年) - ブレイザーズスポーツクラブ設立。 2012年(平成24年)10月1日 - 新日鐵住金(現・日本製鉄)発足。 2014年(平成26年)4月 - 和歌山製鉄所と統合し、同所・堺地区となる。 2020年 (令和2年) 4月 - 日本製鉄の組織統合により関西製鉄所和歌山地区となる予定。
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