地域的洪水説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:47 UTC 版)
人類学者の研究では、ほとんどの古代文明が、土地の肥沃な川または海のそばで発達していることを指摘する。古代人たちにとって河川は農業用水をもたらす命の源であるとともに、ひとたび氾濫すれば全てを押し流す恐るべき存在である。狭い世界に住む古代人にとって、一つの大河の氾濫はまさに「世界を呑みつくす大洪水」であっただろう。そのような人々が洪水の強烈な記憶に対し、洪水にまつわる神話を生み出して、彼らの人生にとって欠かせない部分を説明し対処しようとするのは珍しいことではない。実際、河川の氾濫や、津波の被害を受けない地域の民族は、大洪水説話を持っていないことが指摘されている。 メソポタミアの大河、たとえばチグリス川では雪解けの時期にアナトリアの山地で増水が起こり、時としてこれが下流で大氾濫をもたらす。下流のシュメールなどの人々にとって、前触れもなく突然押し寄せる洪水は大きな脅威であり、そこからこうした洪水を生み出した原因や結果を題材にする神話も生まれた。考古学者のマックス・マローワンとレオナード・ウーリーは、紀元前2900年頃に起こったユーフラテス川の氾濫がシュメール神話における大洪水説話を生み出し、これが伝播して旧約聖書を含めた各地の大洪水説話を生んだと主張した。聖書学者のキャンベルとオブライエンによれば、創世記の洪水神話ではヤハウェ資料による記述と祭司資料による記述の両方が、バビロニア追放(紀元前539年)以後に制作されたもので、バビロニアの物語に由来するという。 アトラハシス叙事詩のタブレットIIIのiv、6-9 行目で明らかに洪水が地域的河川氾濫だと確認できる。「とんぼのように人々の遺体は川を埋めた。いかだのように遺体は船のへりに当たった。いかだのように遺体は川岸に流れ着いた。」シュメール王名表 WB-444 はジウスドラの支配の後に洪水を設定しているが、彼が、他の洪水伝説と多くの共通点を持つジウスドラ叙事詩における洪水の主人公である。考古学者のマックス・マローワンによれば、創世記の洪水は「紀元前2900年頃、初期王朝の始まりに実際に起こった事象に基づいている」という。 また、ギリシャの考古学者アンゲロス・ガラノプロスは、紀元前18世紀から15世紀のサントリーニ島の火山爆発によって起きた大津波の記憶が、ギリシャ神話のデウカリオンの洪水やアトランティス説話の起源となっているとの説を唱えた。
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