地域協会認可の経緯
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「国際サッカー連盟」の記事における「地域協会認可の経緯」の解説
FIFAは当初、1国1協会(=1代表)を原則としていたが、次のような経緯で地域の協会も認可するようになった。FIFA創設の翌年、1905年にイングランドが参加するまでは、「近代サッカーの母国(The home of Football:FIFA公式呼称)」としての優位性と、イギリス以外の国家との格段の実力差を主張したイギリス帝国は、FIFAに参加しなかった。 サッカーの母国としての優位性とは、世界に先駆けて次の活動を行っていたことである。近代サッカーは1863年のイングランドサッカー協会(FA)とロンドンの12クラブによる統一ルール作成により誕生し、英国本土に広がり、大英帝国の船員・鉄道技術者・水兵たちなどによって世界中に広がった。 さらに1882年、英本土4協会は国際大会を開くために統一ルールを作る団体、国際サッカー評議会を組織した。翌年の1883年から英本土4協会が参加するブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ(当初はホーム・インターナショナル・チャンピオンシップ(ホーム国際選手権))と呼ばれる世界初のサッカー単独の国際大会を毎年開催することになった。このように、英本土4協会はFIFA設立以前からそれぞれが独自に活動していた。イギリス以外の国家との格段の実力差とは、当時すでにプロリーグがあったイングランドのアマチュアチームが、オランダやフランスに遠征しても、相手チームに対し二桁の得点を挙げるほどの実力差のことである。 したがってイギリスには、英本土4協会以外の国と国際試合を行う必要性はないので、他国との国際試合を行うために、FIFAのような組織に参加する必要はないという主張であった。もともと、サッカー単独の世界選手権大会(のちのFIFAワールドカップ)を開催することが目的の一つだったFIFAは、サッカーの国際ルールを制定した近代サッカーの母国であり、自他ともに認める当時のサッカー最強の国イギリスをFIFAに加盟させるために、イギリス協会として包括的にではなく、英本土4協会を個別に承認した。実際に英本土4協会のFIFA加盟が決まると、すぐに翌年1906年のサッカー単独の第1回世界選手権大会開催を決めた。しかし、当時は交通機関が未発達な状況で、経費負担も含めて代表チーム編成も困難な国家が多かったため、参加国が集まらず失敗し、ロベール・ゲラン初代FIFA会長は責任を取って辞任した。 以降、FIFAは一定の自治が行われている地域の協会も認可している。イギリスは本土4協会のほかに海外領土のモントセラト・イギリス領ヴァージン諸島・ケイマン諸島・タークス・カイコス諸島・バミューダ諸島・アンギラ・ジブラルタル、デンマークは海外領土のフェロー諸島、オランダは海外領土のキュラソー島・アルバ、イスラエル国内のパレスチナ自治区、中国は香港と澳門、アメリカ合衆国は海外領土のグアム・アメリカ領サモア・プエルトリコ・アメリカ領ヴァージン諸島など、このようにFIFAから認可されている地域の協会は、イギリスだけではない。また中華民国(台湾)は、チャイニーズ・タイペイ(中華台北)サッカー協会として加盟している。
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地域協会認可の経緯
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「ロベール・ゲラン」の記事における「地域協会認可の経緯」の解説
ゲランをはじめ、FIFA役員は当初は1国1協会1代表を原則としていたが、次のような経緯で、地域の協会及び代表チームも認可するようになった。FIFA創設の翌年1905年にイングランドが参加するまでは、「(近代)サッカーの母国(The home of Football:FIFA公式呼称)」としての優位性とイギリス以外の国との格段の実力差を主張したイギリスはFIFAに参加しなかった。サッカーの母国としての優位性とは、世界に先駆けて、次の活動を行っていたことである。近代サッカーは1863年のイングランドサッカー協会(FA)とロンドンの12クラブによる統一ルール作成により誕生し、英国本土に広がり、「大英帝国(今のイギリス)」の船員・鉄道技術者・水兵たちなどによって世界中に広がった。更に1882年に英本土4協会は国際大会を開くために統一ルールを作る団体、国際サッカー評議会を組織した。翌年1883年から英本土4協会が参加するブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ(当初はホーム・インターナショナル・チャンピオンシップ(ホーム国際選手権))と呼ばれる世界初のサッカー単独の国際大会を毎年開催することになった。このように英本土4協会はFIFA設立以前からそれぞれが独自に活動していた。イギリス以外の国との格段の実力差とは、当時既にプロリーグがあったイングランドの“アマチュア”チームが、オランダやフランスに遠征しても、相手チームに対し二桁の得点を挙げるほどの実力差のことである。従って、イギリスには、英本土4協会以外の国と国際試合を行う必要性はないので、他国との国際試合を行うためにFIFAのような組織に参加する必要はないという主張であった。元々、サッカー単独の世界選手権大会(後のFIFAワールドカップ)を開催することが当初からの目的(先述の通り、実際に英国本土4協会FIFA加盟の翌年1906年開催決定した)の一つだったFIFA(ゲラン及びFIFA役員)は、サッカーの国際ルールを制定した近代サッカーの母国(The home of Football)であり、自他ともに認める当時のサッカー最強の国イギリスをFIFAに加盟させる為に、イギリス協会として包括的にではなく、英本土4協会を個別に、承認した。 以降、FIFAは一定の自治を行っている地域の協会も、公認するようになり、今日に至っている。2018年4月18日時点で、全211協会がFIFAから認可されている。
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