地元集中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 14:32 UTC 版)
地元集中(じもとしゅうちゅう)は、日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校1校のみを選択するように進路指導する教育運動をいう[1]。地元集中受験運動、あるいは実施されていた地域の名称をとって高槻方式、高槻・枚方方式などとも呼ばれる[2]。また地元集中から「地元育成」と呼称が変更される例もみられる[3]。
注釈
- ^ 地元集中運動の行われている地域に居住したまま、大阪府内でも地元集中が行われていない地域(大阪市、堺市、東大阪市、吹田市、摂津市など)の公立中学校へ校区外通学(越境通学)することで、地元集中運動を回避することはほぼ不可能であった。それは、大阪府内の各市町村の教育委員会では、「しない、させない、越境入学」の標語に代表される、公立小・中学校の通学学区を厳守させる指導が学校や保護者に対して徹底されているためである。
- ^ ただし、これら自治体ではそれぞれの項目に記されている、成績上位の生徒の私立校への流出に代表される様々な問題点が後に露呈し、多くは単独選抜など別の形態に移行することになった。
- ^ 世代人口の多かった第二次ベビーブーム世代の高校受験期には、受験競争の緩和、90%を超えるレベルに達した高校進学率の維持、中学浪人の大量発生防止という点では効果があった。
- ^ 地元集中運動やそれに似た運動が激しかった地域では、そのような生徒・保護者側の動きに対し、運動が「骨抜き」になること恐れた公立中学校教員側から、校区内の公立小学校に、児童を全員、校区の公立中学校へ進学させ、私立中学校へは進学をさせないよう働きかける動きが見られた。そして、それに呼応した小学校教員による、保護者・児童への指導という名の強制や必要書類の発行拒否などといった受験妨害により、私立中学校への受験が事実上不可能になる事態が発生した。
- ^ つまり、当該地域の不動産の価値や家賃などにも悪影響が広がってゆくこともある。
- ^ 1980年代の一時期、大阪府や首都圏などの私立中学・高校の一部には、公立学校教師による私学受験用の調査書の発行拒否など受験の妨害の横行への窮余の対応策として、学習塾からの資料での受験や、さらには調査書無しでの受験をやむを得ず認める学校も存在した。
- ^ 私立高校では「大鉄高等学校」(現:阪南大学高等学校)が、1948年以来設置されているが、学費面などから、入学できる生徒は限られていた。また、公立高校では、河南高校が定時制松原分校として定時制課程を1951年に設置したが、1966年に廃止している。
出典
- ^ a b c 磯野雅治著『実践報告 なんで"一流高校"受けるんや 進路公開と地元集中受験運動』毎日新聞社「月刊教育の森 1979年6月号」P106-P111
- ^ 『1期生の思い出』 大阪府立高槻南高等学校
- ^ 門真市教育部次長答弁 門真市文教常任委員会議事録 1999年6月16日
- ^ a b 新通学区域導入の状況について[リンク切れ]兵庫県教育委員会
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