国際学級の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)
「成蹊中学校・高等学校」の記事における「国際学級の設置」の解説
1962年11月の学園審議会で、当時の成蹊小学校長の杉山穣により海外勤務者子女教育を目的とする特別学級の復活が提案された。これよりも以前に成蹊学園は1918年設置の「和組」、1935年設置の「操要学級」と海外勤務者の子弟を受け入れてきた経緯があった。しかし戦中の国際関係悪化を理由に1940年に廃止されていた。戦後日本が高度成長へと向かう中で、外交官や貿易商社・銀行等の金融機関の海外勤務者が著しく増加した。帰国子女を対象とする教育施設の設備は当時の日本においてごく僅かな先例しか存在せず、公立学校では皆無だった。本格的には1964年1月高瀬荘太郎学園総長の任命により特別学級設置委員会が発足した。3月に委員会策定による「在外子弟のための特別学級開設計画」が審議会に提案・決議された。 1期生(1964年度入学)の保護者の勤務先はボンベイ・ニューデリー・サンフランシスコ・マニラで、商社3名、外務省1名であった。1964年当時、帰国子女クラスを設置する国公立小中学校は存在せず、翌65年東京学芸大学附属大泉中学校に、69年に同小学校に設置されたのが国公立初の事例である。成蹊中学では帰国生受け入れのため、1964年から国際特別学級(1995年に国際学級と改称)を設置している。1967年に文部省(文部科学省)から海外帰国子女教育研究協力校の指定を受けた。 過去には全学年に設置されていたが、現在は国際学級が1学年制になり、中学2・3年からの国際学級編入試は廃止となったが、2008年からは中学2年への帰国生編入試を実施し、中2一般クラスへ編入する。2000年以降、中学国際学級は海外での説明会を実施し、香港・シンガポール・ヨッロッパ等の複数の都市で開催されていた。
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