国際囲碁普及
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1945年の東京大空襲による日本棋院焼失時には、自宅を仮事務所にするなどして、瀬越憲作らと日本棋院復興に尽力した。1948年に日本棋院理事長、1954年に東京駅八重洲口にオープンした中央会館の初代館長。1958年に訪米、続いて1961年からアメリカに1年半滞在してから海外普及に情熱を注ぎ、アメリカ・ヨーロッパ各国・南米等を訪問して囲碁の指導と普及を行った。 1975年にロンドンに囲碁会館を建設したが、3年ほどで経営不振で閉館。1986年に、所有していた囲碁サロン「薫和サロン」ビルを日本棋院に寄付し、それを売却した5億3千万円を資金として岩本囲碁振興基金を設立。1989年にはサンパウロに南米囲碁会館を建設、1992年にアムステルダムにヨーロッパ囲碁文化センター、1995年にシアトルとニューヨークに囲碁会館を建設するなど、世界各地での普及に尽くした。ヨーロッパ囲碁文化センターの日本間は「薫和」と名付けられている。 1967年に九段。1967年紫綬褒章、1972年大倉賞、1972年勲三等瑞宝章受章、1976年サンフランシスコ文化勲章受章。1987年度名誉東京都民、1989年棋道賞「国際賞」。日本棋院顧問を務める。 1973年に71歳で名人リーグ入り。1983年に現役を引退。「棋道」誌1992年6月号から1993年3月号まで「岩本放談」を連載。1999年に死去。島根県益田市では2002年に生誕100年を記念して名誉市民の称号を贈り、市立歴史民俗資料館では郷土の偉人として資料を展示している。2011年、第8回囲碁殿堂入り。 門下に、曲励起九段、福井正明九段、福井進九段、中岡二郎七段、ジェームズ・カーウィン初段ら。木谷門下の小林覚九段も指導した。
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