国際地理学会議、1895年
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「カルステン・ボルクグレヴィンク」の記事における「国際地理学会議、1895年」の解説
ボルクグレヴィンクはケープ・アデアで南極大陸初の越冬を行うという遠征のアイディアを促進するため、ロンドンに急行して、王立地理学会が主催する第6回国際地理学会議に出席した。1895年8月1日、ボルクグレヴィンクは会議で演説し、科学遠征隊が南極で冬季宿営できる可能性のある場所としてケープ・アデアの浜を説明した。その場所について「家屋、テント、物資の安全な場所」と表現し、この場所には「南極圏の厳しい力を示さない開放された力」を示すものがあると言った。また、大陸内部にはこの浜から「穏やかな傾斜」という容易な経路によって行くことができるかもしれないと示唆した。ボルクグレヴィンクは次の遠征を自ら率いるつもりがあると宣言して、その演説を締めくくった。この会議に出席していた王立地理学会の司書ヒュー・ロバート・ミルは、この演説に対する反応を「彼のぶっきらぼうなやり方と纏まりの無い演説が、現実の新鮮な風で学術的な雰囲気を掻き雑ぜた。このとき誰もボルクグレヴィンクを大変好んだわけではなかったが、彼にはダイナミックな性質があり、未知の南極に再度出発する目標を設定して、我々の中に探検を予告するものとして心に訴えるものがあった」と報告していた。しかし、この会議はボルクグレヴィンクの考えを裏書まではせず、その代わりに南極探検を支援する一般決議を通し、「世界中の様々な科学界が、最も効果的と考えられる方法で、この世紀が終わる前に事業に取り掛かることを促進すべき」と提案した。
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