国鉄末期から民営化後とは? わかりやすく解説

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国鉄末期から民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 22:23 UTC 版)

国鉄EF55形電気機関車」の記事における「国鉄末期から民営化後」の解説

1号機長らく中央鉄道学園静態保存されていたが、後に高崎第二機関区移され転車台脇に留置された。長年屋外留置外板塗装も艶がなくなり退色進んだ状態であったが、1985年昭和60年)に実施され機関車展示会において、同機区有の手により、構内運転が可能な状態にまで整備された。この機関車展示会におけるファン人気を見た国鉄本社は、リバイバルトレインでの運用前提として1986年昭和61年)に大宮工場動態復元6月24日に車籍を復活させた。翌1987年昭和62年4月1日国鉄分割民営化後東日本旅客鉄道JR東日本)に引き継がれ高崎運転所配置された。さらに、1992年平成4年)にATS-Pが搭載された。 その後は、イベント欠かせない機関車となり、上越線高崎 - 水上間の「EL&SL奥利根号EF55奥利根号」を中心に各地同機使用した臨時列車運行された。その際EF64形 (1001) を補機として連結することが多かった2006年には、3月25日から4月3日まで千代田区神田須田町にあった交通博物館閉館記念イベント神田川沿いの旧万世橋駅跡に特別展示された。また、同年12月2日には「EF55誕生70周年記念号」が上野 - 高崎間で運転された。2007年は「お座敷ゆとり水上号」の高崎 - 水上間を牽引予定だったが、電動空気圧縮機 (CP) の故障によりEF60 19変更となったその後目立った運用がなかったが、故障箇所修理復元工事実施され臨時快速列車同機さよなら運転実施された。2009年1月18日さよなら運転最後に運用終了し高崎車両センターで車籍を残したまま静態保存されていたが、2015年平成27年4月12日からさいたま市鉄道博物館保存展示されている。この保存以ってEF55 1は同日付で除籍され、廃形式となった1号機戦時中機銃掃射受けた経歴があり、運転台真上部分にその弾痕が今も残されている。 EF55 1+EF58 61牽引サロンエクスプレス東京交通博物館展示されEF55 1

※この「国鉄末期から民営化後」の解説は、「国鉄EF55形電気機関車」の解説の一部です。
「国鉄末期から民営化後」を含む「国鉄EF55形電気機関車」の記事については、「国鉄EF55形電気機関車」の概要を参照ください。

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