国籍と所属
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 01:40 UTC 版)
敗戦後の1946年に師の瀬越憲作が日華親善のためとして薦めて、呉は中華民国籍としたが、これは連合国の中国(中華民国政権)代表団が呉の日本国籍取り消しを指示したとも、在日華僑により半強制的に手続きをとったとも言われる(夫人はこの時に無国籍状態となってしまっていた)。次いで璽宇教の問題で瀬越に様々な圧力がかかり、1947年に瀬越が呉の辞表を日本棋院に提出して除籍、客員となり、読売新聞の専属棋士として読売主催の対局に専念することとなったが、当時この経緯を呉自身は把握していなかった。1949年に日本棋院から九段推挙された際には名誉客員棋士という待遇だった。読売主催の最強戦、名人戦には出場していたが、1965年に専属契約を解消し、他紙主催棋戦にも出場するようになる。1952年に台湾(中華民国)の中国囲棋会から招待を受けて台湾訪問し、呉は大歓迎を受け、大国手の称号を授与される。またこの時、当時10歳だった林海峰と試験碁を打ち、渡日を勧めた。この訪台時に夫人がパスポート申請しようとして無国籍が発覚し、再度日本国籍に戻った。また自身も1979年に再度日本国籍を取得する。引退後の1985年に故郷がある中華人民共和国を初めて訪問して歓迎されるも日本国籍であり続け、晩年は呉清源国際囲碁交流基金の設立など日中交流への貢献が評価されて中国から「平和発展貢献賞」が授与された。2017年11月に弟子の林海峰や遺族の立会いのもと故郷の中国福州に帰葬された。
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