国産技術向上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 07:43 UTC 版)
事業団はH-Iまでに着実に米国の技術を吸収し、初の純国産液体燃料ロケットのH-IIロケットの開発に着手した。そして日本初の第一段用液体燃料エンジンとなるLE-7の開発に苦労しながらも開発を完了し、1994年(平成6年)2月に試験一号機の打ち上げに成功した。しかし、打ち上げ単価が一回190億円もするため、価格を抑えた新ロケットの開発に入った。H-IIは七機打ち上げられたが2度の連続打ち上げ失敗のために運用中止となった。その後2001年8月にH-IIの改良型であるH-IIAロケットの打ち上げに成功し、低コスト化と信頼性を両立したロケットを完成させた。宇宙開発事業団時代のH-IIAロケット打ち上げは5機で、全て成功させている。 一方この頃、日本製の商用衛星技術も日進月歩で向上し世界標準に至るまでに成長していた。しかし対日赤字に神経を尖らせていた米国の圧力がかかり、1990年(平成2年)に貿易摩擦解消のため、日本国内で使用する商用衛星の受注を国際競争入札制とする協定が結ばれた。高性能でありながら少量生産であるために高価格な日本の衛星は受注競争で全く太刀打ちできず、日本の衛星産業は打撃を受けた。このため、事業団は技術試験衛星を多数打ち上げることで国内企業の技術維持を図った。
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