国土開発縦貫自動車道構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 07:06 UTC 版)
「田中清一」の記事における「国土開発縦貫自動車道構想」の解説
国土開発縦貫自動車道構想は、戦後の日本国土の普遍的開発を図ることを目的に、そのためのインフラ整備として全国にネットワーク的な道路網を形成するという、田中が起案した開発構想のことである。 具体的な道路構成の基本的考え方は、最初に本州の中央山地部を縦貫する幹線自動車道を建設し、この幹線道路から海岸に向かって肋骨状に連絡道路を建設するというもので、戦前に内務省が構想しながらも戦時下で頓挫した「自動車国道構想」に代わるものであった。内務省の「自動車国道構想」は、国防的見地から、海岸沿いに幹線道路をループ状に設けて必要箇所に横断道路を建設するというものであったが、田中の構想は、これとは対極的に位置する考え方であった。 田中の縦貫道構想は、戦後日本の高速道路建設計画が具体化するきっかけとなり、瀬戸山三男や青木一男ら当時の有力国会議員の支持を受けて、1953年(昭和28年)には「国土建設推進連盟」が結成され、さらに同年5月には「国土開発中央自動車道事業法案」(現在の中央自動車道)が議員立法されるまでに至った。田中自身も、1959年(昭和34年)に参議院に立候補して当選し、自ら国会議員として縦貫道構想の実現に奔走した。構想自体は具体的なルート問題で理念に走りすぎて現実にそぐわない面もあったが、中国自動車道など構想通り実現された道路もあり、田中の運動が日本の高速道路網建設の具体化と発展に大きく貢献することとなった。
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