因果の非対称性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 08:20 UTC 版)
「ジェリー・フォーダー」の記事における「因果の非対称性」の解説
意味論的な評価は象徴体系の構成要素の内的関係にのみ関わるという考えを批判されて、フォーダーは心的内容及び意味に関して外材主義の立場を受け入れた。フォーダーにとって、近年、精神の自然化の問題は、「世界の一部が他の一部と関係している(と説明できる、と表現できる、ことが真である)ことの十分条件」を非内在的・非意味論的術語で与えられる可能性と結びついている。この目的が表象の心の理論のうちで達成されれば、挑戦はLOTの原始的・非論理的象徴の解釈を打ち立てる因果の理論を考案する。フォーダーの最初の提議は、心的言語において「水」の象徴がH2Oという特性を表現することを決定する物が、その象徴の発生が確かに水の因果関係であることであるということである。この理論をより直観的に説明するとフォーダーが「未完成の因果理論」と呼ぶものになる。この理論によれば、象徴の発生はその発生の原因となる特性を説明する。例えば、「ウマ」と言う言葉は、ウマのウマであることを言っている。このためには、「ウマ」の象徴の発生のはっきりした特性が、何かが「ウマ」の発生であると決定するはっきりした特性と法のような関係を持っていることが必要にして十分となる。 この理論に関する主な問題は誤った表象の問題である。「もし[…]そういった特性が存在すること全てが、そして特性が存在する場合にのみ発生するならば、象徴は特性を説明する」という考えに伴う避けられない問題が二つある。一つは、「全ての」ウマが「ウマ」を発生させるわけではないということである。もうひとつは必ずしもウマ「だけ」が「ウマ」を発生させるわけではないということである。「A」(「ウマ」)がA(ウマ)によって発生する場合もあるが、別の場合には、――例えば、法が可視的である状態かもしくは距離があるために、ウシをウマと誤認する――「A」(「ウマ」)がB(ウシ)によって発生している。この場合「A」という象徴は単にAの特性を表すのみならず、AあるいはBの特性の分離をも表している。それゆえに未完成の因果理論は象徴の内容が分離している場合とそうでない場合を区別することができない。このためにフォーダーが「分離の問題」と呼ぶものが発展した。 フォーダーはこの問題に対して、彼が「ごくわずかに未完成な因果理論」と定義したものをもって回答している。このアプローチでは、未完成な因果理論の基盤となっている対称性を破壊することが必要になっている。フォーダーは、Aによる「A」の発生(真)をBによる「A」の発生(偽)から区別する方法を見つけなければいけない。フォーダーによれば、出発点は、偽の場合は真の場合に「存在論的に依存」しているが、逆はそうではないということである。依存関係の、つまり、真なる内容(A= A)と偽なる内容(A = A or B)の非対称性が存在する。前者は後者と独立に存在するが、後者は前者が存在する場合に限り存在する : 「意味論的観点から言えば、間違いは「事故」であるに違いない。:「ウマ」の外延に牛が存在しないならば、ウシがウマと呼ばれ得るような「ウマ」の意味を要求することはできない。一方、「ウマ」がそれが意味するところのものを意味しないならば、そしてそれがウマと誤認しているのならば、ウシを「ウマ」と呼ぶことは不可能であろう。以上二つを並べてみれば、間違って「これはウマである」と言うことが可能なのはそれを正しく言えるための意味論的基盤が存在するからであって、逆ではない。このことを未完成な因果理論の言葉で言えば、ウシを見た人が「ウマ」と言うことはウマを見た人が「ウマ」と言うことに依存している。;しかしウマを見た人が「ウマ」というのはウシを見た人が「ウマ」と言うことに依存して「いない」[…]」
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