商業利用に向けた準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 22:02 UTC 版)
「キネトスコープ」の記事における「商業利用に向けた準備」の解説
1892年12月、エジソンは研究所内にディクソンが設計したブラック・マリア(英語版)という映画スタジオの建設を始めた。ブラック・マリアは世界初の映画撮影専用のスタジオであり、その名前は建物全体が黒いタール紙に覆われており、それが囚人護送車に似ていたことにちなんでいる。建物は長方形の箱型で、撮影に必要な太陽光を取り入れるため、太陽の位置に合わせて回転することができた。1893年2月にブラック・マリアが完成し、4月までにディクソンとハイスにより最初の商業用映画『鍛冶屋の場面(英語版)』が撮影された。ブラック・マリアはその後数年間、エジソンの映画撮影の中心となった。 キネトスコープの最初の公式実演は、1893年5月9日にブルックリン芸術科学協会の物理学部門の月例集会で行われた。この時に上映されたのは『鍛冶屋の場面』で、400人以上の参加者が順番にキネトスコープを覗き込み、全員が見終わるまで数時間かかった。6月にエジソンは機械工のジェームズ・イーガンに25台のキネトスコープを発注し、商業利用に向けて準備を進めた。エジソンは同年夏にシカゴ万国博覧会でキネトスコープを発表する計画を立てていたが、ディクソンが病気休養となり、発注品の準備も間に合わなかったため、出品されることはなかった。 1894年1月上旬、ブラック・マリアで『フレッド・オットのくしゃみ』が撮影された。この作品は商業用ではなく、ハーパーズ・ウィークリー誌に掲載される記事の図版用として宣伝目的で作られた。3月からディクソンとハイスは商業用作品の撮影を始めた。3月6日には世界的なボディビルダーのユージン・サンドウが研究所を訪問し、ブラック・マリアでサンドウがポーズをとる姿を写した『Sandow』が撮影された。サンドウに続き、3月10日から16日の間にはスペイン人ダンサーのカルメンシータ(英語版)がダンスをする姿が撮影された。カルメンシータはキネトグラフの前に立った最初の女性で、なおかつアメリカで映画に出演した最初の女性と考えられている。さらに4月までに女性曲芸師エナ・ベルトルディのパフォーマンス、闘鶏、理髪店の再現場面など、主に男性観客向けの内容のフィルムが撮影された。
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