和歌色葉〈上中下/〉
主名称: | 和歌色葉〈上中下/〉 |
指定番号: | 2401 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1983.06.06(昭和58.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 6帖 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 『和歌色葉』(三巻)は、鎌倉時代初期建久年間(一一九〇~一一九九)に上覚が撰した歌学書で、当時の歌学を集大成したものとして中世歌学史上に重視されている。 この静嘉堂本は、上中下三巻を各本末に分けて書写され、粘葉装冊子本六帖からなっている。書写奥書はないが、書風および書写の体裁などからみて、鎌倉時代中期の写本と認められ、文中には本文書写と程遠からぬ時期に書き込まれたとみられる墨書の校異、朱の注記がある。本帖は鎌倉時代に遡る『和歌色葉』の唯一の古写完本として貴重である。 |
上覚
(和歌色葉 から転送)
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上覚(じょうかく、久安3年(1147年)- 嘉禄2年10月19日[1](1226年11月10日))は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての真言宗の僧。法名は上学・浄覚ともかく。諱は行慈。号は西山隠士。父は湯浅宗重で、明恵(高弁)の叔父にあたる。
略歴
天台座主慈円(関白藤原忠通の子)が著した歴史書「愚管抄」五によると、平治元年(1159年)の平治の乱がおきた時には、父宗重とともに平清盛へ危険を知らせるために駆けつけ、甲冑を持ち合わせていなかった平宗盛に甲冑を譲ったと記されている。
出家したのはその後と見られている。文覚に師事し、文覚の神護寺復興に協力し、文覚の死後も神護寺の経営に力を尽くした。甥にあたる明恵は上覚に師事して出家し、神護寺に入寺している。
歌にも秀で、歌学書に「和歌色葉」、私撰集に「玄宝集」がある。
脚注
- ^ 奥田勲『明恵・遍歴と夢』(1978年)p.167
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