名声と漫画の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:13 UTC 版)
アニメ『それいけ!アンパンマン』の大ヒットを受けて、1990年代以降は様々な賞を受賞。1996年(平成8年)7月には出身地の高知県香美市に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館し、1998年(平成10年)8月には同記念館内に雑誌「詩とメルヘン」の表紙イラストやカットなどを収蔵した「詩とメルヘン絵本館」が開館するなど名声が高まっていった。官庁や地方自治体、公益事業や業界団体などのマスコットのキャラクターデザインを懇請され、無償で引き受けることも多くなった(なお、前述の「詩とメルヘン」編集長時代も初期はほぼノーギャラで引き受けていた)。 やなせは名声に甘んじることなく漫画の復興にも取り組んだ。1992年から地元高知で行われていた一コマ漫画の大会「まんが甲子園」には立ち上げ時から深くかかわり、晩年まで審査委員長を務めた。2005年(平成17年)には財政難を理由にまんが甲子園入賞校へ贈る賞金の半減を打ち出した高知県に対し総額200万円の資金提供を申し出ている。 2000年(平成12年)には日本漫画家協会理事長に就任。結果を残すことが出来なかったが、懸案事項は「ストーリー漫画以前の漫画家と以降の漫画家の収入格差をいかに解消するか」だった。なお、やなせは自社ビルに日本漫画家協会を家賃タダで入居させていた。 この時期から「漫画家ならば行動や言動も漫画的に面白くなければならない」という信念を持つようになり、テンガロンハットにサングラス、カウボーイブーツという独特なファッションで公の場に現れ、日本漫画家協会の会合やその他のイベントなどで歌や踊りを取り入れたユニークなスピーチをするようになった。 2001年には自作のミュージカルを初演、2003年(平成15年)には同ミュージカルの延長線上で、作曲家「ミッシェル・カマ」、歌手やなせたかしとしてCDデビュー。 詩人としては、2003年に『詩とメルヘン』が休刊するものの、2007年にかまくら春秋社から季刊誌『詩とファンタジー』を立ち上げ、「責任編集」を務めた。
※この「名声と漫画の復興」の解説は、「やなせたかし」の解説の一部です。
「名声と漫画の復興」を含む「やなせたかし」の記事については、「やなせたかし」の概要を参照ください。
- 名声と漫画の復興のページへのリンク