名古屋人気質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:13 UTC 版)
愛知県は明治時代初期に至るまで三河国と尾張国とに行政区分がされていたが、それぞれ異なる気風を有しており、近世初期の地誌『人国記』によれば尾張人は「進取の気強くて、善を見れば善に進み、悪になれば悪にそみ」、三河人は「へんくつにて我言を先とす」と記している。歴史学者の武光誠は『人国記』による評価を一面的なものとした上で「合理主義で倹約を重んじ、義理人情より損得を考える。流行を追わず秩序を重んじる。その愛知県人気質を最も最も強めたのが名古屋人」と記している。 作家の司馬遼太郎は三河の気風について「諸国に類を見ない統一がとれていたが、それだけに閉鎖的で(中略)農民社会そのもの」、尾張の気風について「自己に対する信奉心が強く、もし彼らが三河の郎党のような目に遭えば、ほとんどが近国に散って然るべき知行で売りつけ、個々に新運を開こうとするに違いない」と評したが、文化人類学者の祖父江孝男は名古屋人の気風について「(司馬の言う)三河の農民的気風と尾張の商人的気風の混じり合ったもので、その閉鎖的な体質は良くも悪くも愛知県そのもの」または「倹約家で排他的だが見方を変えれば堅実で合理的」としている。 名古屋人の堅実性や合理性を示す一例として、国内屈指の貯蓄率の高さがあり、日頃から質素倹約に徹して貯蓄に励むことから「名古屋の貯め倒れ」と評されている。一方、そうして貯めこんだ多くの金を冠婚葬祭の費用に充てると贅の限りを尽くして、互いに見栄を張りあうのだと言われる。 閉鎖性について、名古屋市出身の作家の清水義範は「名古屋人は同じ日本人であっても決して馴染もうとせず、自分たちだけで社会を作り、他の地方の人に対して優越感と劣等感の両方を持っている」と評している。NHK放送文化研究所が1997年(平成9年)に行った調査でも、依然として閉鎖的な対人意識が多く残っていることが指摘されているが、一方で高度成長期以降に他の都道府県から移り住んだ人々が定住感を持った影響や、1989年(平成元年)の世界デザイン博覧会を契機に都市環境が整備された影響から、「愛知県が好き」と答える人は増加傾向にある。
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