同位体の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 22:39 UTC 版)
ラザフォード、ガイガー、マースデンの研究と同時進行で、グラスゴー大学の放射化学者フレデリック・ソディは、放射性物質に関する化学関連の問題を研究していた。ソディはラザフォードとともにマギル大学で放射能の研究をしていた。1910年までにおよそ40の異なる放射性元素がウランと鉛の間で確認されたが、周期表においては11個の元素しか許されていなかった。ソディとKazimierz Fajansは1913年に独立にアルファ崩壊をうける元素は周期表で2つ左の元素を生成し、ベータ崩壊をうける元素は周期表で1つ右の元素を生成することを発見した。また、周期表の同じ場所にある放射性元素は化学的に同じである。ソディはこれらの化学的に同一の元素を同位体と呼んだ:3-5。放射能の研究と同位体の発見により、ソディは1921年にノーベル化学賞を受賞した。 電場と磁場による正に帯電した原子の偏向に関するJ. J. トムソンの研究から、フランシス・アストンは1919年にキャベンディッシュ研究所で初の質量分析器を造った。 簡単に達成することになるが、彼の目的はネオンの2つの同位体20Ne と 22Neを分離することであった。アストンは全ての粒子の質量が整数であること(整数の法則)を発見した。つまり、全ての同位体の質量は水素原子の質量の自然数倍ということである。これらの測定ではアストンは恣意的に酸素16に対する質量を計算し、ぴったり16の質量とした(今日では原子質量単位 (amu) は炭素12に対して相対的なものとなっている)。皮肉にもこの規則の1つの例外は水素自体であり、質量値は1.008であった。余剰の質量は小さかったが、実験の不確実性の範囲をずっと超えていた。アストンらはすぐに、この矛盾は原子の結合エネルギーによるもの、つまり、単一原子に結合した多数の水素原子の質量は別々の水素原子の質量の合計よりも小さくなければならないことに気づいた。アストンは多数の非放射性元素の同位体の発見と整数規則の発表により1922年にノーベル化学賞を受賞した。1920年にアーサー・エディントンは、アストンの各結合エネルギーの発見に注目し、星は水素(陽子)をヘリウムに融合させることでエネルギーを獲得し、より重い元素が星の中に形成されることを提案した。
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