古典チベット語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 07:04 UTC 版)
古典チベット語 |
|
---|---|
話される国 | チベット |
話者数 | — |
言語系統 |
シナ・チベット語族
|
初期形式 | |
表記体系 | チベット文字 |
言語コード | |
ISO 639-3 | xct |
Linguist List | xct |
Glottolog | clas1254 [1] |
古典チベット語(こてんチベットご、英: Classical Tibetan)は、チベット語の文語の時代区分において、古チベット語と現代チベット文語[注釈 1]の間に位置する段階のことである[3][4]。三者を分つ具体的な年代は文献によって異なるが[4][注釈 2]、西暦9世紀-12世紀を起点とし19世紀-20世紀前半までに記された文語が古典チベット語と呼ばれる。
古典チベット語による代表的な文献としては、チベット大蔵経所収の仏典などが挙げられる[7]。表記にはインド系文字のチベット文字が用いられる。敦煌文書などに代表される古チベット語と異なり、古典チベット語には西暦9世紀に制定された正書法が反映されている[8][7]。

歴史的背景
仏典の翻訳と3度の「釐定」
古典チベット語の成立には、西暦8世紀に仏教を国教化したティソン・デツェンや、9世紀前半に在位したティデ・ソンツェン(セナレク)、ティツク・デツェン(レルパチェン)らが推し進めた、サンスクリット仏典の翻訳事業が深く関わっている[9][7]。チベットが仏教化する過程においては、サンスクリットで記された大量の仏典がチベット語へと翻訳された。それに伴い、「釐定」བཀས་བཅད <bkas bcad>と呼ばれる言語改革も行われた[10][11]。仏典翻訳の標準化を目的とした「釐定」は8世紀から15世紀の間に、3度に渡り行われている。
- 「第一次釐定」 བཀས་བཅད་དང་པོ <bkas bcad dang po> (8世紀-9世紀前半)
- 「第二次釐定」 བཀས་བཅད་གཉིས་པ <bkas bcad gnyis pa> (9世紀前半)
- 「第三次釐定」 བཀས་བཅད་གསུམ་པ <bkas bcad gsum pa> (11世紀-15世紀前半)
「釐定」の対象は、仏典に用いる語彙に加え、チベット語の表記法にも及んだ。第二次釐定以前の表記は「旧綴字」 བརྡ་རྙིང་པ <brda rnying pa>、それ以降の表記は「新綴字」 བརྡ་གསར་པ <brda gsar pa>と呼ばれる[9]。「旧綴字」は「敦煌文書」等に含まれる古チベット語文献に反映されている[10]。一方、翻訳事業を経て編纂されたチベット大蔵経には「新綴字」が反映されている[9][12]。
「釐定」以前
チベット系諸言語が文字で記録されるようになったのは、ソンツェン・ガンポが吐蕃を樹立した7世紀以降のことである[13]。この時期の文語は古チベット語と呼ばれる。古チベット語以来、チベット系諸言語の表記に用いられている[注釈 3]チベット文字は、ソンツェン・ガンポに遣えた訳経僧のトンミ・サンボータが、インドの文字をもとに創成したとされる[14]。『王統明鏡史』(14世紀) といった後世の史書は、仏典が初めてチベットに導入されたのもソンツェン・ガンポの治世下であると伝えている[15]。もっとも、現在までに残るチベット語訳の仏典は全て、彼の治世から100年程経った8世紀以降のものである[7]。
古チベット語においては表記の一貫性が低く、同じ文書の中でおいても綴りの揺れが散見される[9][16]。例えば、「湧水」を意味する語は、 ཅུ་དམྱིག <cu dmyig>とも ཅུ་མྱིག <cu myig>とも ཆུ་མྱིག <chu myig>とも綴られた[17][18][注釈 4]。
第二次釐定まで
チベットにおいて仏教が国教となったのは、8世紀後半のティソン・デツェンの治世である。サンスクリットで書かれた仏典のチベット語訳は、この時期に本格化した[20]。多くの文法家や訳経僧が仏典の翻訳に従事した[11]。「大蔵経」に収録された顕教の文献は、9世紀前までに翻訳が完了し、ティデ・ソンツェンの時代には仏典の目録も編纂された。こうした翻訳事業の中で、サンスクリットに対応する訳語や、チベット語表記の統一も試みられた (第一次釐定)[9]。
続くティツク・デツェンの治世下では、サンスクリットとチベット語の対訳語彙集である『二巻本訳語釈』が成立した。同時期に古典チベット語の正書法も確立し、それまでに翻訳された仏典も「新綴字」へと修訂された (第二次釐定)[21][12]。「新綴字」では「再後置字」の ད <-d>、「後置字」の འ <-'>、母音記号 ྀの廃止に加え、 མྱ <my-> → མ <m->、 སྩ <sts-> → ས <s->等の音変化を反映した綴りの変更も行われた[21][12]。
第三次釐定
仏典の翻訳と言語改革は、吐蕃の崩壊後も訳経僧リンチェン・サンポらの手によって継続された (第三次釐定)[21]。15世紀には旧来の訳語と新しい訳語を対照した語彙集『丁香帳』が編纂された[22][12]。
チベット以外での使用
チベット仏教の伝播と共に、古典チベット語もモンゴル、満州といったチベット外の地域で使用されるようになった[23]。モンゴル諸語を話すカルムイク人・オイラト人・ブリヤート人・モングォル人・ユグル人、テュルク系のトゥヴァ人・ユグル人の他、西ヒマラヤ諸語(キナウル語など)、四川省のチアン語群、ナシ語、タマン系諸言語(タマン語・グルン語など)、ブータンのツァンラ語、東ボディッシュ諸語等の非チベット系言語の話者の間でも、古典チベット語が文語として用いられる[24]。

資料
サンスクリットから翻訳された仏典を集成したチベット大蔵経が、古典チベット語を代表する文献である[7]。サキャ・パンディタ(1182–1251)[6]やツォンカパ(1357–1364)[9]等のチベット人自身による著作や、ボン教の経典[6]も古典チベット語に含まれる。ツァンニョン・ヘルカ(15世紀)によるミラレパの伝記[25]や、『王統明鏡史』(14世紀) のような歴史物語文献[26]も存在する。
文字と音韻
古チベット語からの音変化
古典チベット語は古チベット語と同様にチベット文字により表記される。古チベット語から古典チベット語が形成される過程で生じた音変化の一部は、「新綴字」に反映されている[27]。もっとも、音韻体系の変化は常に表記体系の改変をもたらすわけではなく、現代チベット語に見られるような綴字と発音の乖離も生じた。子音連結の単純化や声調の発生は、古典チベット語の時期までに起こったと推定される[27][28]。
子音連結の単純化
子音連結を表す「前置字」ないし「上接字」のབ <b->, ག <g->, ར <r->は、古典チベット語の成立までに黙字となり、発音されなくなった。中央アジアで発見された古チベット語による契約書では、ホータンの官僚Sudārrjāṃの名が、སར་ཞོང <sar zhong>, བསར་གཞོང <bsar gzhong>, གསར་གཞོང <gsar gzhong>などと綴られている[29]。これは「前置字」b-, g-の黙字化を示唆するものである[29]。子音連結の単純化は、西暦9世紀の唐蕃会盟碑[30]においても示唆されており[29][31]、例えば「内相チムのシャンギェシェルコェネヅェン」[32]ནང་བློན་མཆྀམས་ཞང་རྒྱལ་བཞེར་ཁོད་ནེ་བརྩན <nang blon mchIms zhang rgyal bzher khod ne brtsan>は、「曩論琛尚頬熱窟寧贊」、「勅命に従う者」[33]བཀའ་ལ་གཏོགས་པ <bka' la gtogs pa>は、「伽羅篤波」と漢字に転写されている。
一方、唐蕃会盟碑のチベット語においても、「上接字」ས <s->の発音は保たれていたと考えられる。例えば、「調度官」[33]སྣམ་ཕྱི་པ་ <snam phyi pa>は、「悉南紕波」、「テンシェルタクツァプ」བརྟན་བཞེར་སྟག་ཙབ <brtan bzher stag tsab>は、「旦熱悉諾帀」と表記されており、子音連結初頭の<s->に「悉」の字が当てられている[29]。
声調発生
現代ラサ・チベット語において、ཤོ <sho>「サイコロ」はɕɔ́(高声調)、ཞོ <zho>「ヨーグルト」はɕɔ̀(低声調)と発音する[34]。このようにチベット語では、有声阻害音の無声化に伴って、声調の対立が発生している[29]。
声調発生が古典チベット語の成立前に起こっていた点は、『編年紀』[35]で「テュルク」がདྲུ་གུ་ཡུལ <dru gu>と表記されている事実から窺える[36]。『編年紀』には古テュルク語のxaːtunが、ག་དུན <ga dun>という語形で借用されている例も存在する[31][注釈 5]。こうした借用語の表記は、声調発生をもたらした有声阻害音の無声化が、10世紀[29]はおろか8世紀よりも前に進行していたことを示唆する[31]。
形態音韻論
格助詞を始めとする助詞は、直前の語の後置字に応じた異綴形を持つ。これはトンミ・サンボータが制定したと伝わる連声規則を反映したものである[37][38]。古典チベット語の正書法が「トンミ」の連声規則に従っているが、『王統明鏡史』のような実際の文献では、これが順守されない例も見られる[39]。
以下では古典チベット語における規範的な連声規則を示す[40]。
- 属格助詞 ཀྱི <kyi>
ཀྱི <kyi> |
「後置字」ད <-d>, བ <-b>, ས <-s>、 及び「再後置字」[注釈 6]ད <-d>, ས <-s>の後。 |
གི <gi> |
ང <-ng>, ག <-g>の後。 |
གྱི <gyi> |
ན <-n>, མ <-m>, ར <-r>, ལ <-l>の後。 |
འི ~ ཡི <'i> ~ <yi> |
འ <-'>の後、及び「後置字」を持たない語の後。 |
- 能格助詞のཀྱིས <kyis>, གིས་ <gis>, གྱིས་ <gyis>, ས <-s> ~ ཡིས <yis>の書き分けも、同様の条件による。
- 到格助詞 ཏུ <tu>
ཏུ <tu> |
「後置字」ག <-g>, བ <-b>、 及び「再後置字」ད <-d>の後。 |
དུ <du> |
ང <-ng>, ད <-d>, ན <-n>, མ <-m>, ར <-r>, ལ <-l>の後。 |
སུ <su> |
「後置字」ས <-s>の後、 及び「再後置字」ས <-s>の後。 |
ར ~ རུ <-r> ~ <ru> |
འ <-'>の後、及び「後置字」を持たない語の後。 |
- 接続助詞 ཏེ <te>
ཏེ <te> |
「後置字」ན <-n>, ར <-r>, ལ <-l>, ས <-s>の後、 及び「再後置字」ས <-s>, ད <-d>の後。 |
སྟེ <ste> |
ང <-ng>, ག <-g>, བ <-b>, མ <-m>, འ <-'>の後、 及び「後置字」を持たない語の後。 |
དེ <de> |
「後置字」ད <-d>の後。 |
- 累加副助詞「〜も」ཀྱང <kyang>
ཀྱང <kyang> |
「後置字」 ག <-g>, ད <-d>, བ <-b>, ས <-s>の後、 及び「再後置字」ས <-s>, ད <-d>の後。 |
ཡང <yang> |
ང <-ng>, ན <-n>, མ <-m>, ར <-r>, ལ <-l>の後、 及び「後置字」を持たない語の後。 |
འང <'ang> |
འ <-'>の後、 及び「後置字」を持たない語の後。 |
- 名詞化助詞 པ <pa>
པ <pa> |
「後置字」 ག <-g>, ད <-d>, ན <-n>, བ <-b>, མ <-m>, ས <-s>の後、 及び「再後置字」ས <-s>, ད <-d>の後。 |
བ <ba> |
ང <-ng>, འ <-'>, ར <-r>, ལ <-l>の後、 及び「後置字」を持たない語の後。 |
- 不定限定詞 ཅིག <cig>
ཅིག <cig> |
「後置字」ག <-g>, ད <-d>, བ <-b>の後、 及び「再後置字」ད <-d>の後。 |
ཞིག <zhig> |
ང <-ng>, ན <-n>, མ <-m>, འ <-'>, ར <-r>, ལ <-l>の後、 及び「後置字」を持たない語の後。 |
ཤིག <shig> |
「後置字」ས <-s>の後、 及び「再後置字」ས <-s>の後。 |
- 接続助詞のཅིང <cing>, ཞིང <zhing>, ཤིང <shing>、引用助詞のཅེས <ces>, ཞེས <zhes>, ཤེས <shes>の書き分けも同じ条件による。
- 終助詞 འོ <'o>[41]
- ཡིན་ནོ <yin no>, ཡོད་དོ <yod do>のように、直前の「後置字」に合わせて書き分ける。
- 「再後置字」ད <-d>の後は、例外的にཏོ <to>と書く(e.g. གྱུར་ཏོ <gyur to>)。
- 選択詞 འམ <'am>の書き分けも同じ条件による。
文法的特徴
他のチベット系諸言語と同様、古典チベット語もSOV型を基本語順とし、後置詞による格のを行う[42]。アラインメントは能格型である[42]。
脚注
注釈
- ^ 現代チベット語文語(英: Modern Literary Tibetan)は、20世紀以降のチベットで使用されている文語であり、表記と文法は古典チベット語と基本的に同一であるものの、語彙には現代的な学術用語を表す新造語が数多く組み込まれている[2]。
- ^ 例えば、Bialek (2022:11)[5]は西暦9世紀前半以降を、Tournadre and Suzuki (2023:181)[4]は西暦12世紀以降を古典チベット語の使用時期としている。なお、古典チベット語は20世紀前半まで行政・医学・宗教の分野で用いられた[3]。2023年現在においても、文書が古典チベット語の文体で書かれる場合がある[6]。
- ^ ただし、ペルシャ文字で表記されるバルティ語のような例外も存在する。
- ^ なお、古典チベット語における綴りは ཆུ་མིག <chu mig>である[19]。
- ^ Bialek (2019:30)には<ga dun>でなく<ga tun>とある。
- ^ 第二次釐定により「再後置字」ད <-d>は表記上現れなくなったが、連声 規則は釐定以前の表記に基づく。
出典
- ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Classical Tibetan”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History
- ^ Tournadre & Suzuki 2023, p. 85.
- ^ a b Bialek 2022, p. 10.
- ^ a b c Tournadre & Suzuki 2023, p. 181.
- ^ Bialek 2022, p. 11.
- ^ a b c Tournadre & Suzuki 2023, p. 182.
- ^ a b c d e Bialek 2022, p. 12.
- ^ 稲葉 1954, p. 23.
- ^ a b c d e f 西田 1989, p. 748.
- ^ a b 西田 1989, pp. 748–749.
- ^ a b Tournadre & Suzuki 2023, p. 194.
- ^ a b c d Tournadre & Suzuki 2023, p. 195.
- ^ Takeuchi 2021, p. 304.
- ^ 山口 1976, pp. 8–9.
- ^ ソナム 2015, pp. 119–126.
- ^ Tournadre & Suzuki 2023, p. 190.
- ^ Tournadre & Suzuki 2023, p. 191.
- ^ “Old Tibetan Documents Online - Search the Texts”. 2025年2月23日閲覧。
- ^ Tournadre & Suzuki 2023, p. 814.
- ^ Takeuchi 2021, p. 305.
- ^ a b c 西田 1989, p. 749.
- ^ 西田 1989, p. 750.
- ^ Denwood 1999, p. 11.
- ^ Tournadre & Suzuki 2023, p. 183.
- ^ Denwood 1999, p. 243.
- ^ 星 2016, p. xv.
- ^ a b Takeuchi 2021, p. 311.
- ^ Bialek 2019, p. 34.
- ^ a b c d e f Takeuchi 2021, p. 310.
- ^ “Old Tibetan Documents Online - The Sino-Tibetan treaty inscription of 821-822”. 2025年3月12日閲覧。
- ^ a b c Bialek 2019, p. 30.
- ^ 佐藤 1949, p. 257.
- ^ a b 佐藤 1949, p. 258.
- ^ Denwood 1999, p. 72.
- ^ “Old Tibetan Documents Online - Old Tibetan Annals”. 2025年3月12日閲覧。
- ^ Bialek 2019, pp. 29–30.
- ^ 稲葉 1954, pp. 84–86.
- ^ Tournadre 2010.
- ^ 星 2016, p. 277.
- ^ 星 2016, pp. 277–280.
- ^ 星 2016, p. 279.
- ^ a b Bialek 2022, p. 8.
参考文献
- Bialek, Joanna (2019). “The Proto-Tibetan clusters sL- and sR-and the periodisation of Old Tibetan”. Himalayan Linguistics 17 (2). doi:10.5070/H917238831. ISSN 1544-7502.
- Bialek, Joanna (2022). A textbook in Classical Tibetan. Routledge. doi:10.4324/9781003224198
- Denwood, Philip (1999). Tibetan. Amsterdam: John Benjamins Publishing Company. doi:10.1075/loall.3. ISBN 978-90-272-3803-0. ISSN 1382-3485
- Takeuchi, Tsuguhito (2021). “History of Tibetan Language”. In Nagano, Yasuhiko; Ikeda, Takumi. Link Languages and Archetypes in Tibeto-Burman. Institute for Research in Humanities, Kyoto University. pp. 303–323
- Tournadre, Nicolas (2010). “The Classical Tibetan cases and their transcategoriality: From sacred grammar to modern linguistics”. Himalayan Linguistics 9 (2): 87–125. doi:10.5070/H9922348.
- Tournadre, Nicolas; Suzuki, Hiroyuki (2023). The Tibetic languages: An introduction to the family of languages derived from Old Tibetan. LACITO Publications. doi:10.5281/zenodo.10026628
- 稲葉, 正就『チベット語古典文法学』法藏館、1954年。 ISBN 4831873063。
- 佐藤, 長「唐蕃會盟碑の研究」『東洋史研究』第10巻第4号、1949年、237-281頁。
- 西田龍雄 著「チベット語 (歴史)」、亀井孝; 河野六郎; 千野栄一 編『言語学大辞典 第2巻 世界言語編 (中)』三省堂、1989年、746-761頁。
- 星, 泉『古典チベット語文法』ILCAA、2016年。doi:10.15026/94480。
- ソナム, ギェルツェン 著、今枝由郎 訳『チベット仏教王伝: ソンツェン・ガンポ物語』岩波文庫、2015年。
- 山口, 瑞鳳「『三十領』『性入法』の成立時期をめぐって: Thon mi sambhota の生存年代」『東洋学報』第57巻、1976年、1-34頁。
- 古典チベット語のページへのリンク