古代ギリシャの様々な宇宙論
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「天動説」の記事における「古代ギリシャの様々な宇宙論」の解説
古代ギリシアでは、様々な宇宙論があった。ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシャ哲学者列伝』第10巻によると、エピクロスは太陽などの天体の大きさを見かけ通りの小ささとし、それらの巨大さを否定した。また、夜に太陽が、昼に恒星が見えなくなる原因を不可知とし、天体の灯が消えるなどの可能性も残した。プトレマイオス『アルマゲスト』第1巻によれば、日没の説明について、無限遠まで遠ざかって見えなくなるという中国の蓋天説のような説や、灯が消えて見えなくなるとする説があったようである。 大地が動くことを仮定する理論もあった。『ギリシャ哲学者列伝』第9巻によれば、原子論の創始者レウキッポスは大地を円筒形とし、太陽その他の天体とともに宇宙の中心を周回するとした。ピタゴラス派のピロラオスは、宇宙の中心の「火」の周りを、仮想的な「反地球」、地球、月、太陽、惑星が周回するとした。地球は「火」の周りを一日で一周する。また、エクパントスや前4世紀のヘラクレイデスは、地球が宇宙の中心で自転しているという説を唱えた。太陽中心説の先駆としては、紀元前280年頃アリスタルコスが宇宙の中心にある太陽の周りを地球が公転しているという説を唱えたとされる。古代末期紀元5世紀のマルティアヌス・カペラは水星と金星は太陽の周りを回るとした。 ガリレオがコペルニクスの事を太陽中心説の発明者ではなく「埋もれていた仮説を復活させて確認した人」と書くなど、地動説の時代になると、これらの説は先駆者として称揚された。ただし、これらの説が数理的な天文学の理論を伴っていた証拠はなく、どの程度具体的に現象を説明したのかは全くわからない。 評価し得るのは基本的なアイデアだけであるが、ピロラオスの理論などは、全体として「反地球」などの非現実的な要素が多く、地球の公転は天体の日周運動の説明に使われる。最もすぐれているとされるアリスタルコスのアイデアも、コペルニクス説の先駆としての内容を備えるのか否か、慎重論もある。 いずれにせよ、詳細がある程度伝わっている最古の数学的な宇宙の体系は、次に述べるエウドクソスの同心球体説である。
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