古代ギリシャ・古代ローマ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 18:24 UTC 版)
「地名集」の記事における「古代ギリシャ・古代ローマ時代」の解説
1923年に発行された雑誌の記事「Alexander and the Ganges」において、20世紀の歴史家W・W・ターン (W.W. Tarn) は古代の地名集として 紀元前324年~323年の間アレクサンドロス時代の太守によって作成された地名集を挙げている。ターンはこの文書は紀元前323年の6月以降の伝記がないと記しており、その理由とアレクサンドロス3世が亡くなり、バビロン会議が行われたことを挙げている。この地名集は紀元前1世紀にギリシャの歴史家シケリアのディオドロスによって改訂された。紀元前1世紀に、ハリカルナッソスのディオニュシオスはヘロドトスが発見されるまで最古の歴史書とされていた歴史叢書を著し、人々や都市、交易について述べている。歴史家のTruesdell S. Brownは、ディオニュシオスのロゴグラポスに関する記述は「歴史」というよりも「地名集」に分類されるべきものであろうと述べている。古代ギリシャ文学に現れる三角州の古代ギリシャにおける概念について議論する中で、フランシス・セロリア (Francis Celoria) は紀元後2世紀のプトレマイオスとパウサニアスは地理学用語を使用した地名集を制作したと述べている。 しかし、ギリシャの地名集はおそらく古代エジプトで制作されていたものであろう。セロリアは地名集として具体的に言及していないが、ペネロペ・ウィルソン (Penelope Wilson) (ダラム大学考古学部講師)は当時の古代エジプトの行政区画を記している古代エジプトのパピルスにはタニスの名前が見られる (この都市はエジプト第20王朝の時代に設立された)と述べている。 ...各地方の州都、聖櫃、神樹、墓、祭日、禁忌となる事項の名前、土着信仰の神々、土地、湖。僧侶によって作成されたであろうこの興味深い情報はエドフ神殿の壁面に記されている類似の情報にも匹敵するものだ。
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