古代ギリシャ・ローマ世界の中心部と領土
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「古代ギリシャ・ローマ世界」の記事における「古代ギリシャ・ローマ世界の中心部と領土」の解説
上記の定義に基づき、古代ギリシャ・ローマ世界の中心部がイタリア半島やギリシャ、キプロス、イベリア半島、アナトリア半島(現在のトルコ)、ガリア(現在のフランス)、歴史的シリア(現在のイスラエルや中部シリア及び北部シリア、レバノン、パレスチナ国のレバント諸国)、エジプト、アフリカ属州(現在のチュニジアや東アルジェリア、西リビアに一致する)であったことは、確信を持って断言できる。この世界の周辺部を占領したのは、所謂「ゲルマニア」(現在のオーストリアとスイスのアルペン諸州(英語版)やマイン川やライン川、ドナウ川にかかる地域であるアグリデキュメイト(英語版))、イリュリクム(現在の北アルバニアやモンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアの沿岸部)、マケドニア、トラキア(現在の南ブルガリア(英語版)や東北ギリシャ(英語版)、トルコの欧州地方に一致する)、モエシア(概ね現在の中部セルビア(英語版)やコソボ、北マケドニア、北ブルガリア(英語版)、北ドブルジャに一致する)、パンノニア(現在の西ハンガリーやブルゲンラント州のオーストリアレンダー(英語版)、東スロベニア、北セルビアに一致する)であった。 ダキア(概ね現在のルーマニアやモルダヴィアに一致する)やマウレタニア(現在のモロッコや西アルジェリア、北モーリタニアに一致する)、ヨルダン、南シリアとエジプトのシナイ半島、タウリクチェルソネスス(現在のクリミア半島とウクライナ沿岸)も含まれた。 古代ギリシャ・ローマ世界には東に一定の相互作用があった別のペルシャという「世界」や帝国があった(クセノポン、アナバシス、マラトンの戦いやサラミスの海戦が有名なペルシア戦争、アイスキュロスによるギリシャ悲劇「ペルシア人」、アレクサンドロス3世のペルシャ皇帝ダレイオス3世撃退とペルシャ帝国征服、グナエウス・ポンペイウスやペルシャ軍に戦場で敗れ打ち首にされた(奴隷将軍スパルタクスの勝利者)マルクス・リキニウス・クラッススのように後生のローマ将軍の苦境(参照:アッピアン「内戦」))。
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