反対の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 09:20 UTC 版)
船長は、船と共に沈んで死ぬよりも、船を自沈させて危険から逃れることを選ぶ場合もある。この選択は通常、損傷によって船の乗客や乗員の大部分が直ちに危険にさらされることがない場合にのみ可能である。遭難信号が成功し、乗組員や乗客、船の貨物などが救出された場合、その船はサルベージする価値がなく、沈没させられることになる。また、プエブロ号事件のように、敵の軍事組織に船舶が拿捕され調査されるのを防ぐために、遭難した船を破壊する場合もある。また、貨物として運んでいる商品や軍需品を相手側に捕獲されるのを防ぐために破壊する場合もある。 また、船長が自分の身を守るために、乗組員や船舶、その任務を犠牲にする場合もある。船の指揮の責任を回避することにより、通常、船長は法的・刑事的・社会的な罰を受けることになる。 1880年7月17日、イギリス船籍のシンガポールの客船「ジッダ」の船長と乗員は、嵐の中で船が沈没すると思って、船と乗客を捨てて避難した。3日後に船が発見され、乗客はほぼ全員生存していた。船長の経歴を持つ作家のジョゼフ・コンラッドは、この事件を題材として小説『ロード・ジム(英語版)』を執筆した。 1886年10月24日、ノルマントン号事件においてイギリス人船長以下乗組員26名は全員救命ボートで脱出したが日本人乗客25名は船中に取り残されて全員死亡した。 1965年11月12日、アメリカの客船「ヤーマス・キャッスル」で航行中に火災が発生した。一番最初の救命ボートには、船長と乗員のみが乗っていた。この事故により90人が死亡したが、そのうち乗員は客室乗務員と船医の2人のみだった。 1991年8月3日、クルーズ船「オシアノス」のイアニス・アブラナス(英語版)船長は、船が沈んでいることを乗客に知らせずに船を放棄した。乗客は全員救助された。ギリシャの調査委員会は、アブラナスと4人の乗組員に事故処理上の過失があったと認定した。 2012年1月13日、コスタ・コンコルディアの座礁事故の際、フランチェスコ・スケッティーノ(英語版)船長は、数百人の乗客が避難する前に船を離れた。この事故で32名が死亡した。スケッティーノは過失致死などの罪で禁錮16年の有罪判決を受けた。 2014年4月16日、韓国の貨客船「セウォル」が転覆・沈没した。イ・ジュンソク船長は真っ先に船を脱出した。船長と乗組員の多くは救助されたが、乗組員の指示に従って船室に残った修学旅行中の檀園高等学校の生徒・教員261人を含む304人が犠牲となった。船長は2014年6月初旬に逮捕され、裁判にかけられた。過失致死により懲役36年、さらに、死亡した304人に対する殺人罪が認められ、終身刑となった。 2015年6月1日、中国のリバークルーズ船「東方之星」は長江で転覆・沈没した。船長は、ほとんどの乗客が救助される前に船を離れた。442人の死亡が確認され、生存者は14人だけだった。
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