医師免許に関する行政処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 05:11 UTC 版)
「富士見産婦人科病院事件」の記事における「医師免許に関する行政処分」の解説
被害者は民事訴訟第一審で明らかな過失があると認定され、判決文で「犯罪的」と指摘された医療行為に対して医師免許が取り消されずに、診療所を開設して診療を続けていた医師について、これ以上被害者を出さないために当時の厚生省やその後の厚生労働省に対して粘り強い働きかけを続け、1999年8月30日開催の医道審議会で院長らの医師免許剥奪処分を行うよう要望書を出した。 一方で、院長の人徳を慕う患者達も活動を続け、約1000名の署名簿が添えられた事件及び患者達の心情を切々と綴った陳情書も提出された。医道審議会はこれを受理し、結局審議は見送られ、3回の医道審議会を経た後、2000年11月14日、「検察庁は傷害事件を立件しておらず、厚生省も犯罪を認定できるだけの調査ができなかった」という結論を発表して、院長ら医師について処分しないことが一度は正式に決定された。これらの一連の過程の中、元理事長と元院長の夫妻は所沢市で新たな病院を経営し診療に当たる一方、著書を出版して富士見産婦人科で行った治療の正統性を訴えていた。 この決定に対して被害者は強く反発し、その活動が実を結ぶ形で、2002年12月13日に、医道審医道分科会は、刑事事件とならなかった医療過誤についても、医療を提供する体制や行為時点における医療の水準に照らして、明白な注意義務違反が認められる場合などについては、処分の対象として取り扱うものとする、と発表した。2005年3月2日、医道審は民事裁判の結果をふまえて、元院長(当時78歳)について医師免許取り消し処分とし、勤務医3人を2年~6か月の業務停止とする行政処分を決めた。事件発覚から25年経過していた。民事判決の認定に基づき、医師免許に関する処分が行われるのは初めてであった。また、医療行為そのものが問題視されて医師免許が取り消されたのもこれが初めてであった。 元院長は「当時の医学水準からすればいずれも手術は必要だった」と主張して、免許取り消し処分の無効を求めて訴訟を起こしたが、2009年5月28日に最高裁判所は免許取り消し処分を認める判決を確定した。2011年に元院長は免許取り消し処分の無効と医師免許の再交付を求めて行政訴訟を起こしたが、2013年6月27日に東京地方裁判所(川神裕裁判長)はこの訴えを退けた。「問題とされた手術は正当だった」という元院長の主張に対し、判決は「違法性が極めて大きな手術だった」として取り消し処分を適法とした。
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