医師会長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:18 UTC 版)
2020年、現職の横倉義武を破り第20代医師会会長に就任。選挙戦では、当時の安倍晋三首相との関係が良好で「調整型」とされた横倉との一騎打ちとなった。政権の意見を聞きながら迎合する傾向があった横倉に対して、中川は「国民の健康と命を守るためならどんな圧力にも決して負けない、物を言える新しい日本医師会に変える」という強い意志表明が支持され当選に繋がった。元々、横倉前会長時代には医師会の副会長の1人であり、厚労省の審議会などでは医師会の要望を強く主張する役割を担っており、その分永田町や霞が関とのパイプは乏しかった。就任後は、経済への影響に配慮して外出制限などを控え目に判断する政府に対して全国的な緊急事態宣言の発令を働きかけた。またコロナワクチン接種の前倒しや酸素投与の必要がない中等症-軽症患者の療養方針などについて政府との調整を行った。しかし、コロナ対策に追われる一方で、本来の医師会のための活動は十分ではなかったとされる。また、新型コロナウイルスに対する行動制限についての自らの発言がしばしば世論の物議を醸した上に、政府・与党とも対立する場面もあった。さらに自身の醜聞も加わったことで「言行不一致」と国民から見做されて、新型コロナウイルス感染拡大下での医療体制に医師会が寄与したとみられず、却って国民や政財界から日本医師会に対する不信を高める要因となった(後述)。 コロナ対策と並んで医師会長として最大の仕事となったのが2022年度の診療報酬改定へ向けての政権側との交渉であった。コロナ禍を受けて看護職などを中心とした医療従事者の待遇改善などが求められており、政府側も最終的に改定率を診療報酬本体をプラス0.43%(国費300億円程度)としたものの、薬価をマイナス1.35%(同マイナス1600億円程度)、材料価格をマイナス0.02%(同20億円程度)と実質的に診療報酬全体ではマイナス0.94%となったうえに、日本医師会側が強力に抵抗していたリフィル処方箋制度の導入が決まるなど、中川の政治力の乏しさと官邸との連携の悪さが響いた結果となり、結果的に1期のみで会長退任を余儀なくされる一因となった(後述)。
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