北陸3県における電気事業の発達
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「北陸配電」の記事における「北陸3県における電気事業の発達」の解説
日清戦争後の企業勃興期にあたる1899年(明治32年)4月2日、富山電灯(後の富山電気・日本海電気)により富山県富山市において電気事業が開業した。次いで同年5月福井県福井市にて京都電灯福井支社が開業、翌1900年(明治33年)6月には石川県金沢市にて金沢電気(後の金沢電気瓦斯)も開業する。これら北陸3県の各県庁所在地に続き、1903年(明治36年)12月には富山県高岡市でも高岡電灯が開業している。以上の早い段階で出現した4都市の電気事業のうち、福井市のみ社名の通り京都市の会社による事業であったが、その他はそれぞれの地元資本の会社によって経営された。 日露戦争後の時期にはさらに多くの事業者が出現し、石動電気(富山県石動)・七尾電気(後の能登電気、石川県七尾)・小松電気(石川県小松)・大聖寺川水電(石川県大聖寺)・越前電気(福井県鯖江・武生)・敦賀電灯(福井県敦賀)などが相次いで開業する。さらに既存4事業者もそれぞれ供給区域を拡大したことから、1912年(明治45年)までに当時8000人以上の人口があった北陸3県の13町すべてで電気の供給が始まった。大正時代に入るとそれより小さな町や農村部でも電気事業の起業が始まる。さらに第一次世界大戦による大戦景気期には、富山電気や新興の立山水力電気により、大規模水力発電によって得た電力を電気化学工場へと供給する、という形態の電気事業が生まれた。 1920年代以降、北陸3県では電気事業の集約が進む。富山県および石川県能登地方では日本海電気と高岡電灯が統合の核となり、能登電気などが前者に、石動電気などが後者へと合併されていった。石川県加賀地方では中核事業者であった金沢電気瓦斯が1921年(大正10年)に金沢市営事業と金沢電気軌道の2つに事業を分割され消滅。その上、金沢電気軌道は高岡電灯、小松電気は日本海電気、大聖寺川水電は京都電灯の傘下にそれぞれ組み入れられていった。福井県では敦賀電灯を合併した京都電灯と地元の越前電気の2社が勢力を拡大した。 以上のような地域別の電気事業者とは別に、北陸地方の豊かな水力資源を開発し近畿や関東へと送電するという事業者も出現する。代表的なのは業界大手「五大電力」の一角を占める日本電力と大同電力で、日本電力は1924年(大正13年)に富山県から岐阜県経由で大阪府へと至る送電線を、1928年(昭和3年)に富山県と関東を結ぶ送電線を順次整備し、大同電力は子会社昭和電力を通じて1929年(昭和4年)に富山県から石川・福井両県経由で大阪府へ至る送電線をそれぞれ整備した。日本電力については富山県内の一部に電力供給区域を設定しており、大工場への電力供給を積極的に展開している。
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