化粧筆・画筆の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 09:11 UTC 版)
ただし毛筆は1970年代以降生産は伸びていない。外国製の安価な普及品に加え、マジックペン・ボールペン・筆ペンなどの文房具の多様化、PCやスマホの普及、少子化による学童用毛筆の停滞、など毛筆人口の減少によって需要が増えていかないためである。 伸び悩む毛筆に代わって台頭したのが化粧筆・画筆である。戦後から本格的生産が始まり、1950年代には化粧筆生産は順調に軌道に乗り、1960年代には化粧筆・画筆・工業用刷毛それぞれの生産量の方が毛筆よりも多くなっている。この頃から大手化粧品メーカーのOEM生産が始まり、化粧品とのセット販売も行われ、従来の熊野筆の化粧筆製造技術に欧米のものも取り入れるなど技術革新に努めた。1970年度のデータでは毛筆がほぼ国内で流通しているのに対し刷毛類(化粧筆)・画筆は6割近くが海外、主に北米市場へ輸出されていた。 しかしこうした順調な流れも1971年ニクソン・ショック以降の不況によりストップがかかることになる。いくつかの企業ではニクソン・ショック以降赤字に転落したと証言している。 1981年度のデータでは、化粧筆が伸びていたものの、画筆は横ばい、工業用刷毛はポリ容器油差しの普及により減少している。1985年プラザ合意後の円高進行は熊野筆企業の海外進出に拍車をかけることになる。現在化粧筆世界トップシェアの白鳳堂にとっては1995年にカナダの化粧品メーカーであるM・A・C(英語版)とのOEM契約が転機になったという。 こうした中でまず海外で化粧筆の品質が認められることになり、ハリウッドセレブ御用達、あるいはパリコレのメイクアップアーティストが認めた筆、と謳われるようになった。これに1990年代後半から国内メディアで熊野の化粧筆が取り上げられ始め、同じ頃美容ブームやメーク専門女性誌が創刊されたことにより注目され始めた。そして2011年なでしこジャパンへの国民栄誉賞記念品として取り上げられたことで国内での知名度が一気に上がることになった。
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